抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

国連機関で働く私が転職を検討するに至った背景

 

 はじめまして。普段はこのブログを通じて”小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。私は、文字を介して自分の想いや熱量を伝えることが好きなので、過去の記事をいくつか読んでいただけますと、ある程度までは私の人物像をイメージできるのではないでしょうか。また、今回は「国連機関で働く筆者が転職を検討している理由」というテーマで筆を取りますが、所属機関を含む筆者の個人情報はあえて控えさせていただきます。少しでも詳細に、またリアルに、内部の人間が国連機関で働くという実相を伝えられるのではないかと考えた結果です。

 国連機関を「働く場」として見たとき、「働く上でのメリットとデメリット、理想と現実とが極めて極端な業界」だと筆者は感じています。その両方を叙述するには、あまりにも文字数が嵩んでしまうため、本稿では「デメリット」と「現実」とに軸足を置くことにします。人間はどうしても良い面ばかりを見て結論を出してしまう生き物なので、その対極に自分を置くことで俯瞰した視座を得ることができると考えます。

 本題に入る前に2つのことに予めご理解を願います。1つ目は、筆者は現在の職場に対して、総じて満足をしているということです。修士卒という身ながら私を受け入れていただいたこと、また、年齢(20代中盤)に関わらず裁量の大きいプロジェクトを任せていただいたこと、更には、利害関係を越えて建設的な議論ができる環境、良い面を挙げれば枚挙に暇がありません。本稿では良い面に関する主張はあえて枠から外し、別の機会に譲らせていただくことにします。

 2つ目は、本稿で述べる全ての主張は筆者自身の主張に帰属するものであり、所属機関の立場を代弁するものではありません。国連機関といえど、それは多くの該当機関があります。そして、それぞれの機関には世界各地で事務局があり、それぞれの事務局にはそれぞれのセクターがあり、そこにはそれぞれの職員が在籍しています。私の意見は、全体の中の1に過ぎません。以後、筆者の意見を主観的に述べていくことになりますが、読者の方にはそれぞれで噛み砕いていただき、「こういう意見もあるんだ」といった程度に留めておいていただけますと望外の喜びです。

 

 まず、筆者の簡単な経歴だけ参考程度にご紹介させていただきます。筆者は関西の田舎で生まれ育ちました。県内の高校に進学しましたが、講義式の授業が合わず教員と対峙し、1年の終りに通信制編入しました。その後、自身の経験から海外の教育環境を知りたいと思うようになり、高校3年生の時、半年間高校に休学申請を出した後、アジア、中東、欧州の国々を周る旅に出ました。渡航中に知り合ったアルゼンチン人の影響によりスペイン語を独学し、帰国後は残り1年間の高校生活の傍ら、近所で南米からの出稼ぎ労働者にスペイン語から日本語を教えるボランティアをしていました。ある日、同じくボランティアとして参加されていて以前までアメリカに住んでいた日本人の女性と仲良くなり、その女性の友人が日本に来るということでご紹介いただきました。彼女は当時世銀で上級顧問を務めており、修士号を3つ持っていました。「国連機関だと優秀な人がいるんだ」ということを知り、その日から国連機関で働くことを目指すようになりました。とはいえ、大学に入学をしても中身のある大学生活を送れる気がしなかったため、「国際協力の場合、産業は農業から始まる」という単純な考えでオーストラリアに農業留学をしました。現地では農業と日本の受験勉強を淡々とこなし、その結果2年遅れで大学に入学します。

 大学に入学し、1年の終わりに英検1級を取得。大学生2年の11月にはパリで開催されたUNESCO第38回の総会に職員の方からご招待いただき参加。滞在期間の最後にはパリの同時多発テロがあり、現地で惨劇を目の当たりにしました。2年の2月より、アフリカのとある国連機関事務局にて4ヶ月のインターンを経験、その後、草の根の活動に携わりたいという意志があり、7月にインドネシアにあるNGOにて3ヶ月のインターンを経験。大学では主に開発経済を学びました。

 その後、大学院に入学し、国連機関で働くという目標を実現させるために、国連での勤務の経験のある教員の下で、計量分析を学びました。Stata、SPSS、Rを使った分析も何度を何度も行い、ただひたすらに英語の文献を読む日々が続きました。修士2年になると周囲は就活を始めますが、私は日本の企業には合わないと認識していたので、ひたすら国連の空席ポストに応募するということを続けていました。「受からなかった場合、どうしていましたか?」という質問を受けそうなので予め回答しておきますと、博士号を取るつもりでした。指導教官からは、「大使館の専門調査員や青年海外協力隊だと君には緩いかもしれないけれけど、試しに受けてみる?」と助言を受けていましたが、私はなぜか自分が国連機関に受かるに値する人材だと思っていたので、恥ずかしながら働くなら国連機関(希望する機関と勤務地は決まっていましたが名前は伏せます)、無理なら博士課程に進学、と考えていました。大学院に入学してすぐに学費と生活費をやりくりするために個人事業主になりました。幸いなことに、院生時代には、月収で50-70万円を稼ぐことができました。ですので、博士課程に進学できる金銭的な問題はありませんでした。その後、運よくとある国連事務局から拾われたというのが就職に至るまでの経歴です。

 

実務可能言語:日本語、英語、インドネシア語スペイン語

日常会話レベル:トルコ語、中国語

スキル:Stata,SPSS,R, GIS

 

 さて、 高校時代の世銀の職員との出会いから約7年、ようやく国連機関に入るという目標を達成させることができました。長年望んでいた優秀な方々と交わす侃々諤々の議論、学生時代には扱えなかった膨大なデータ、この仕事をしていなければ会えなかったであろう方々、億単位のお金を動かすという裁量と責任、しかし、気づけば転職を考えるようになっていました。以下、思いつく理由を羅列します(順番に意味はありません)。

 

理由1:居住と滞在の違い、途上国で暮らす忍耐がなかった。忍耐として捉える時点で、居住は困難であった。

 

 私は今日に至るまで旅行を含めかなりの数の国々に渡航しました。中長期の滞在経験もあります。そうは言っても所詮は滞在です。居住するとなると、考慮すべきこと、耐えなければならないことは総じて多くなります。理由の1つ目は、途上国での暮らしが自分にとって過度のストレスになってしまったということです。国際協力は言うまでもなく、その多くは途上国を対象とするものです。ひとえに途上国と言えども、アフリカの国のように自然豊かで何もない国もあれば、インドやネパールのように人口が多く、行き交う人々で立錐の余地がない国、宗教的な理由により特定の食べ物を入手できない国や、危険がゆえ自由に出歩けない国まで、日本人が途上国で働くハードルは総じて高いです。自分が希望する国で働けるのであれば、それに越したことはありませんが、実際には契約期間中であれ、毎週のように各国で空席ポストがないかをチェックします。当然、自分の専門性が空席ポストの条件を満たすか否かが空席ポストに応募する前提になりますので、実際には、望んだ国で勤務できる可能性は限りなく低いと言えます。筆者は勤務先の国が筆者自身の許容できる範囲を超えていたと言うことです。例えば、筆者が働く国では交通渋滞が深刻で、わずか7キロの距離を2時間近くかけて通勤します。居住を許された区域が予め指定されているため、事務局の近くに住むことは許されません。移動時間の車の中で勉強ができるかと言われると、鳴り止まないクラクションの音で発狂しそうになります。家では24時間休むことなくクラクションの音が部屋まで響きます。少しでも外を歩くと空気汚染で顔が黒くなってしまいます。日本食がない。言葉が通じない。不衛生。日本人の友達がいない。こういった環境の下でも「異世界が楽しい」「おもしろい」と思う日本人も実際には多くいます。私はそうはなれなかった、というより、こういった暮らしを楽しいと思えるかは、その人の適性で決まると思います。

 

理由2:日本語で業務を遂行できないことに隔靴掻痒の感を覚えた

 

 「英語を使って仕事をしています」と言うと、「英語も使って」と捉えられがちですが、実際には業務の100%を英語で行っています。響きこそきれいですが、業務スピードは著しく落ちてしまいます。上司にはよく「仕事早いわね」と言われますが、内心はいつも「日本語でやったらこの10倍は早い」と感じて歯痒さを抱いています。転職を考えるに至った2つ目の理由は、日本語を使って仕事をした場合、自分がどこまでできるか(評価されるか)知りたいと思うようになったことです。先日、とある難民キャンプで取られた家計調査のデータを使い分析を行いました。その分析の内容と、結果が出るまでの分析の工程をZoomを介して職員に説明する機会がありましたが、筆者の英語力が低すぎるせいで、十分な説明ができないまま発表を終えることになりました。筆者はTOEFL109点と一般的にはそこそこの英語力はあるのでしょうが、どれだけ頑張ろうがスピーキングができません。よく、TOEIC講師や予備校講師がYOUTUBEで英語を話していますが、事前に話す文章を暗記したり、かなり限定された会話しかしない場合は誰でも話せますが、専門的な話を多角的に英語で議論する力は彼らも持っていないと思いますし、当然、自分にも備わっていません。20代という働き盛りの時期に、多くを吸収しスキルを高めていくべき時期に、英語を使って仕事をすることで成長が鈍化してしまうことに自問自答するようになりました。

 

理由3:肌感覚で緩い環境だと感じた。

 

 私の管見する限り、一定数の国連職員は中に入ることがゴールになっているため、入職後はなあなあと仕事をする職員が多いと感じました。契約社員が多い国連業界ですが、実際はある程度年齢や経験を積むと次の契約は担保されています。他方、若手は次のポストを確保するために黙々と働いていて、その認識や取り組む姿勢の差にギャップを覚えました。各国の拠出金が今後は減ると言われており、若手が入ることが一段と難しくなる業界であり、断層は固定化され、既得権益に浸る年齢層の高い職員が跋扈することになります。そうしたこともあり筆者自身、国連機関の存在意義や発言力が既に実質化しているのではないかと考えるようになりました。また、「エビデンスベースの政策提言」が求められる昨今ですが、分析を行うスタッフが非常に少ないのにもにもかかわらず、映像系やインフォグラフ作成が専門の職員を雇用する方向性に疑念が拭えなくなってしまいました。国連職員は国際公務員という枠であり、民間企業のようにコロナで給与が減ることもないため、その安定感から緊張感を持って仕事をする職員が一定数に留まっています。私は「自分の給与は自分で稼ぐ」というようなバイタリティを持って仕事に向かうことが当然と考えており、認識と現実との乖離に気づきました。

 

理由4:国際協力はビジネスであるという立場に共感ができなかった

 

 コロナの影響が人口に膾炙してきた2月、筆者の所属機関では「コロナでビジネスの機会が増えた」と雄弁に語る職員が多くいました。振り返ると、確かにこの業界では国際協力をビジネスとして捉える人たちが多かったことに気づきました。国際協力をどう定義するか、どのような位置付けとして捉えるかは正解も間違いもないと思いますが、ビジネスという側面でしか捉えられないようであればそこらの民間企業と変わらないのではないか、そのような考えの下では各国の状況は永遠に改善しないのだろうと感じました。当然ですが、全ての職員が細かなところまで共感をして仕事をすることはできません。とはいえ、大枠の部分での認識の違いはこの業界で働くことの意味を千思万考する機会になりました。

 

理由5:上流の経験と下流の経験、どちらを選ぶか。現場での声を拾えているのか

 

 一般的に国連機関は一つのプロジェクトがあって主にはその上流と中流とに携わりますが、実際の現場の声を拾えているのかについては些か疑問でした。国連スタッフの経歴をみていても、現場での経験を持った職員が少なく、官庁や政府関係者といった上流のみの経験しか持たない職員が多くいました。そのため、少なからず、現場のニーズが拾えていないということが明らかにわかっていて、総花的な政策を実行することがありました。そういう人材に自分もこのままではなってしまうのではないかという危機感を覚えるようになりました。

 

本稿では、国際機関を目指す方、また、国際協力に興味のある方を対象に向けて書いたため専門的な話はあえて触れませんでした。より細かいレベルでの質問やコメントがあれば可能な範囲でお答えさせていただきます。お読みいただきありがとうございました。

 

追記: 上述した理由により転職も前向きに検討しております。会社規模は問いませんのでご興味を持っていただいた企業様並びに人事様がいらっしゃればご連絡いただけますと嬉しいです。

 

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惨事便乗型資本主義

ショックドクトリンの本質について、その命名者であるナオミ・クラインは、次のように述べている。

「破壊的な出来事が発生した直後、災害処理をまたとない市場チャンスと捉え、公共領域に一斉に群がるような行為を、私は『惨事便乗型資本主義』と呼ぶことにした」。

 ここでクラインが述べる「このような行為」とは、2005年にアメリカ南部を襲ったハリケーンカトリーナによる災害直後、たとえば共和党の下院議員が、低所得者向けの公営住宅は「さっぱり一掃できた、これぞ神の御業だ」と語ったようなメンタリティのもとで一気に進められた過激な民営化政策を指している。より敷衍して言えば、普段の社会状況では抵抗が強く実現が難しい政策課題を、発災後、人々が茫然自失の状態にあるうちに、一気に実現してしまおうとする思想・行為と言えるだろう。クラインの著作では、チリやロシア、ポーランドサッチャーのイギリスなどで遂行されてきた徹底的な公共領域の解体と民営化の諸相が追及されているが、現在のコロナショックのもと、日本の政治社会のもと、日本の政治社会の文脈で警戒されるべきは、市民の自由・人権の強権的な制度と、相互監視大勢のなし崩し的な拡大ではないか。
 それぞれの社会は固有の文脈を持つから、感染拡大の抑止のために「都市封鎖」を行ったり、外出禁止して違反者に刑事罰を与えたりすることの是非は、それぞれで議論され、検証されればよいと思う。ただ日本社会では少なくとも、そうしたことがなされうる法的証拠はない。戦時中の経験を思い出すまでもなく、行政が「お上」として強く捉えられがちなこの社会の思潮では、市民的自由を制限する行政の権限は最小限に留めるべきだと思う。
 小池都知事が「何もせずにこのまま推移すれば、海外のようにロックダウンを招く」という、誰が封鎖を実施するのかという肝心の主体を曖昧にした言い回しにするのは、法的根拠の不在を知っているからだろう。しかし、今行政がすべきは、強硬策で市民を脅迫することではなく、合理的・合法的な感染拡大抑止策の説明、確実な検査とデータの公開、そして医療体制の設備であろう。少なくとも小池都知事は「無駄のない医療」を掲げて推進する都立病院の独立法人化を見直すべきではないか。
 その小池都政の継続を問う都知事選挙が7月に迫る。国政野党は今回も都知事選での「共闘」を繰り返し確認しているようだが、政党の枠組みからではなく、小池都政の評価についての認識や、都民の生活の保障できる候補者、そして政策という点から、都民本位の議論を行うべきではないか。都政について何も知らないに等しい候補者を告示日前日に担ぎ出し、スキャンダルを暴かれて失速するという前回の失態をまさか忘れてはいないだろうが、現在の枠組み優先姿勢の姿勢には危惧を禁じ得ない。

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学校教育の意義

 ちょうど去年の今頃、自分は全く就活をせずにバングラデシュの家計調査を用いて計量分析をしていました。とはいえ、全く就活をしていなかったかというと語弊があって、SPIを受けて、通って、でも面接には行かなかったり、あるいは面接にジーパンと半袖でいって人事に怒られたり、あげく、民間企業には来ない方が良いと言われ、自分もそう思っていました。ですので、すぐに私は就活をやめて、友人に変わって友人の就活関連のテストを受けるということをしていました。テストを受けること自体は好きでした。
 一方で、研究が上手くいっていたのかというと、そうでもなくて、指導教官の先生からは「そんなことも知らないんですか」と詰められ、朝になるまで研究室で血眼になりながらパソコンに向かい合っていました。それでも指導教官の先生は熱心な方で、毎週少なくとも1日は18:00くらいから終電まで自分一人のために時間を割いてくださり、親身に計量分析と私の研究について指導してくださりました。ただ、内容は非常に厳しかったため、毎週先生は、「もうメンタルがやられてAくんは来ないかと思っていました」とおっしゃっていました。私は「メンタルの弱い学生だとパワハラと受け止められるかもしれませんが、私にはあと10倍くらい詰めてもらって大丈夫です。」と返していました。ちょうど去年の今頃の話です。今は幸運なことにも仕事で全く同じ家計調査をしていて、当然、技術的なところで周囲に助言を求めることができないため、あの時、正直結構辛かったですが、指導教官の先生に夜通し詰められてよかったなあと思うわけです。
 私は、学校教育の価値とは教員と学生とコミュニケーションの質に依存すると感じています。「大学は放送大学で間に合う」と言っている人がいますが、大部分の学生は自分がわかっていないことが理解てきていないということがよくあります。キーワードと例題の暗記が理解の全てという学生がものすごく多くて、わからないことがあればすぐに「オススメの参考書はありませんか?」と聞いてくる。こうした学生を指摘して矯正するのが、先生の仕事であり、学校の存在意義だと思います。
 オンライン授業というのは、横文字で響きこそ綺麗ですが、果たして学生の能力が向上するかどうかは、いささか懐疑的であります。
 
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良き理解者でありたいと願う

小学生の頃、まだ本を読むという習慣すらできていないのに、図書委員会というだけで半ば強制的に参加させられた読書会。与えられた短編すら四苦八苦しながら読んだ記憶がある。
 時が進むうちに想いが変わる。私が持っていたのは「ここが面白い」という程度の感想だった。だが、高校の時に参加した読書会にて、参加者から出てくるのは一つの面白い、ではなかった。十〇人いれば違う面白いが存在していた。まさに言葉のシャワーを浴び続けた二時間。読書という観念がひっくり返され、思い切りかき混ぜられたようだった。
 読書というのは、一人静かに読み、深めていくことだと思われがちである。それも妙味。読書の一面だと思うし、そんな読書も好きである。だが、自分と他人との「好き」を見比べ、ぶつかり合い、共感する。「ああ、こんな表現もあるのだなあ」と感心する。そして作品の根底にある想いや感情を引っ張り出す面白さ、こうして自分は読書と日本語が好きになった。
 今、活字離れという。いま、高校教育の国語から文学作品が削られつつあることも聞いている。仕事がら子どもの教育に関わることが多いが、皆、本を読むことが嫌いだという。彼らの経験する読書とは、学校で感想文を書かされ、それを評価されることだ。つまり自分の感じたことに良し悪しをつけて、序列化されるのである。これで「本を読むことを好きになれ」と言われても、無理だろう。
 読書会が静かなブームという。でも割と年齢層は高いのではないだろうか。十〇代の早い時期に、本を通じてワイワイとトークする。主人公と一体になったり、敵になったり、この人はこうなって欲しいと願ったり。読書は多くのことを与えてくれる。若い人に、もっと自由に本を読み、語り合って、本を読むことを好きになってもらいたい。
 この国の私教育の位置を取り直しつつ、課題の多い教育の問題について良き協力者でありたいと願う。

 

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NHKの存在意義を問う

 大晦日の夜になると実家では「NHK紅白歌合戦」を観ることが恒例行事となっている。どのような選定基準により歌手が選ばれるかについては、毎年歌手の顔ぶれを見ている私からすると実に腑に落ちない。とはいえ、今回の紅白歌合戦では、例年稀に見ないほど奇妙な映像が流れた。多くの視聴者も同じ疑問を抱いたと思うが、我々は歌番組を観ているのか、それとも東京五輪の特番を観ているのか、終始よくわからないまま番組が終わったのである。番組では、曲の合間に選定された歌手へのインタビュー映像が流れるかと思いきや、なぜか歌手ではなく東京五輪に出場する選手へのインタビュー映像が流れたり、挙げ句の果てには、大トリを勤めるグループは、完成したばかりの新国立競技場を舞台に歌を披露していた。私には国ぐるみで国民を東京五輪に関わらせようとする政府の意図が透けて見えた。
 東京五輪には多くの問題が山積みされている。炎天下の中、無給のボランティアを募って大会を運営しようとする「無償ボランティア問題」。文科省は全国の大学に向けて「ボランティアの参加を促す」と表記された通知文章を送っている。当然、ボランティアであれば雇用契約は発生しないため、万が一の事故の際にも国は責任を回避できる。
 新国立競技場の建設費問題もある。建設費の膨張などで国民を不安にさせては、結局儲かるのは大手ゼネコンのみであり、下請けは依然、劣悪な環境下で酷使される。また、五輪が終わった後のジレンマの問題もある。過去五輪が開催された国では、一時的な経済成長はみられるものの、その後の衰退は目に余るものがある。
 こうした五輪開催に関する問題は多く残存するが、国の公共放送であるNHKが意図的に「東京五輪を成功させるんだ」という空気を、国に忖度しながら作り出している。この問題の大きさは注目されるべきである。今回のNHK紅白歌合戦を一言で表現すれば「奇妙」の他ならない。

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「笑」が意味するもの

「ショックなことをお伝えします」「息子さんは同性愛者でした」。同級生からアウティング(他人から暴露されること)を苦して自殺した学生の遺族に対して向けられた、一橋大学の担当者の言葉だ。まるで同性愛者が嫌われて当然だとでも言うかのような、偏見に満ちた言葉だ。同時に、世間の人々の認識を反映しているようでもある。ホモ、レズは理解できない。気持ち悪い、そんな腹の底が透けて見える。

 社会における同性愛者の位置付けは、80-90年代のバラエティ番組において「オカマ=バカで気持ち悪い奴」と言う印象操作が‘行われたのと連動し、人気アニメなどでもたびたび笑いのネタにされてきた。実際、ゲイバーなどにいくと、なるほど「オカマ」は明るい、面白い。世間は、それ以上を知ろうとしないのだな、と思った。同性愛者が明るく振る舞うとき、彼らは常にギリギリの精神状態なはずだ。開き直っているように見えて、数々の差別に晒されてきた恐怖は見せまいと、別の自分を演じる。そうです、ホモです〜と戯けて見せる。だが道化とは、いつだって悲しい内面を隠すためのものだ。誰にも相談できず、途方に暮れている本当の姿を見誤ってはならない。

 アウティングされた学生も、グループラインでは「たとえそうだったとして何かある?笑」と返答している。「笑」がついているからふざけていると額面通りに受け取るのは、浅薄すぎる。ハラスメントは、いつだって「おふざけ」の形式で行われるし、「いじめ」と「いじり」は地続きである。「ホモキャラ」という世間が納得するような形でしか自分を表現できないことに、苛立ちを抱えている人も実は多い。

 それにしても、日本は本当に不思議な国だと思う。これほど「世間様の目」「社会の標準」が浸透しているのに、そこからはみ出した個人は、本人または家族だけで苦しみを抱えなければならない。人の基準をここまで管理しておいて、何のケアもない。それでいて、ほとんどの人が文句を言わない。個人責任としてしまい込む。

 ネタのように扱われ、世間が求める「明るい同性愛者」の範囲でしか彼らの生存を許さない社会では、真剣な議論は起きにくい。見たいものしか見ずに、「シリアスな話は個人的にやってください」と突き放す視野狭窄によって苦しめられた人達のことを思うと、この国の同性愛社を取り巻く環境は、この先も変わらない。

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奴隷国家日本

 最低賃金のアップは当然のことである。今日の最低賃金はあまりにも低い。確かに少しずつマシになっているが、未だに家族を養えるレベルにはなっていない。東京の「1013 円」でさえ、1900時間を掛けた年収は200万円に到底及ばない。したがって、2000時間を超える長時間労働によって生活を防衛する人も出てくる。しかも、その多くは、楽しい職場にはほど遠い。日産の前社長であるゴーン氏の年収は8億円を超えていた。「コスト・カッター」として名を上げたゴーン氏であるが、その「コスト」の末端の末端に底辺の労働者がいる。「カット」されるのは、その僅かな低賃金の一部である。

 エジプトのピラミッドを建設したのは、奴隷労働だとされてきた。膨大な労働量を可能にしたのは、巨大な権力と多数の奴隷であろうとされてきた。しかし、禁煙では異説も見かけるようになった。あれほどの高度の技術と膨大な労働量を得るには、自由労働者のモチベーションの高さが必要である。言われてみれば納得してしまうが、はたしてどれだけの確かな証拠があるのだろうか。

 現代の「自由労働者」にはどれほどのモチベーションがあるのか。少なくとも、最低賃金のボーダーラインをかろうじてクリアするレベルの労働者にあるのは“奴隷並み”のモチベーションには過ぎないのではないか。最低賃金労働者階級は、まさに“現代の奴隷”ともいえるほどだ。しかも、そのなけなしの賃金でさえ、「コスト」として無情にも机上の計算でカットされてしまう。社会保険雇用保険もなく、たちまちにして明日のコメに困る。

 最低賃金のアップが議論にのぼる時に、必ず経営側からブレーキがかかる。中小企業の経営を圧迫するというのだ。十年一日の如く繰り返されてきた「常識論」である。しかし、これは実は非常識きわまるだけでなく、人道上も許されない悪業と言わなければならない。大体、最低賃金すら払えない会社は、企業として成り立っていないのである。しかも、その最低賃金たるや「健康で文化的な最低限度の生活」でさえ難しいほどの不当な低さなのである。

 したがって、カットすべきなのは、労働者の賃金や雇用よりも、むしろ経営者側なのである。そうした経営者には、経営者としての能力がないことは明白であるからだ。たとえ、経済状況が今日のように厳しいことを考慮するとしても、その責任の重さと大半の経営者の豊かな生活を思えば、あまり同情の余地はないだろう。

 通常、リストラと言えば、まず下から何人ということになる。しかし、たまには社長以下上から何人というリストラをやった方が効果的ではないか。

 

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LGBTへの理解

 管見する限り、LGBTという言葉は、私が生まれてきた時代にはなく、2000年代後半から日本でも一般化してきたらしい。そればかりか、先輩の話を聞くと80年代には「ホモ狩り」になるものがテレビのバラエティ番組で放送されると、「男なのに男が好き」は一種の罪であるかのようにさえ感じられたという。もちろん法律上、日本において同性愛が犯罪とされたわけではない。しかし、犯罪者とは全く異なるレッテルが貼られ「頭のおかしいやつ」「どんな病気を持っているかわからない」と面と向かって言われたことも一度や二度ではない。自分自身が同性愛者であるということを両親にカニングアウトした時は、心臓が口から飛び出しそうであった。同時に、犯罪を犯しているわけではないのに、「許しを請う」立場でいることが悔しくて歯痒かったと彼は語ってくれた。

 同性愛者が置かれたそうした状況は、同性愛への理解が深まったように見える現代においても、少しも変わっていない。それは一橋大学で起きたアウティングによる自殺事件を見れば明らかだ。同性愛者が声を上げ、徐々に市民権を得たかに思える昨今においても、社会で生きる同性愛者の孤独は緩和されてなどいない。日本が持っている同性愛者に対する本音が露骨になったのは3年前の9月の国連人権理事会においてだった。「同性愛行為が死刑の対象となること」への非難を8カ国が訴えた。今、世界では6カ国ほど、同性愛が死刑になる国がある。こうした人権侵害への切実な訴えに対し、日本は反対を表明した。他に反対した国にはアメリカ合衆国がある。

 日本の用意した建前はいかにも幼稚であった。日本は死刑を存置する国なので、「死刑廃止・モラトリアムを目論む決議には賛成できない」立場とするもの。しかし、先ほどの提案国は「死刑の廃止・モラトリアムの義務づけ決議ではない」と明確に説明していた。死刑そのものの議論ではなく、適用方法をめぐっての議論であるにもかかわらず、日本は条件反射的に死刑を堅持しようとした。いや、もっと悪しきシナリオとして、条件反射的にアメリカ合衆国に追随したのではないかと疑ってしまう。

 日本社会においては、同性パートナーシップ制度など、一定の広がりを見せている。しかし国際社会に対して、日本は同性愛を「万死に値する」と言い放ったのも同然だ。様々な価値観の違いを対話によって乗り越えていく社会が成熟した社会であるならば、いかに先進的な精度を整えようとも、今の日本は未成熟社会だと言わなければならない。

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若者の活字離れ

 

 若者の活字離れ、新聞離れといわれるようになって久しい。私もニュースは新聞やネットでとりあえず十分かな、と思うこともある。しかし、大きな勘違いがあることに気づいた。つまり私の世代はこれまで新聞や雑誌、本などをある程度読んできて、それなりに社会の現実や国際情勢について一定の常識は身につけ、その上での日々のニュースをどうキャッチするか、であった。しかし、私のちょうどすぐ下の世代の場合は、そもそも新聞をあまり読まないし、学校では現代史や現代社会についてはまともに教えない。そもそもの「素地」がほとんどない状態である。それで、ネットやテレビのニュースだけで世の中を知ろうとしている。

 このことがいかにとんでもないことであるか、直感したのは、実は例の朝日新聞問題だ。社内では幹部と一線社員の会合が何回ももたれたようなのだが、新人社員の話の中で、大学の友人たちに「あんな売国奴の新聞を受けるのか」といわれたという経験談が出てきたという。特に国粋主義的な大学ではない、普通の大学で、しかも朝日新聞に合格するような一定程度の社会問題に意識を持つ学生の友人たちが、そういう認識を普通に持っていることがうかがわれるのだ。

 勿論、以前から朝日は左がかっているといった印象論は語られてきたが、それは一応新聞社としての存在は認めながらも、そういう傾向があるうという話だった。しかし今は、存在自体が認められないものだという認識なのだ。これはネットの影響しか考えられない。

 ヤフーなどのサイトを見ると、まずニュース自体に産経などの右派系のものが目立つし、検索をすると上位には、客観的な審査を受けない「ウィキペディア」につづき、2チャンネルなどの誹謗中傷サイトが続くことも珍しくない。「知恵袋」などの質問箱も、質問も回答もヘイトスピーチまがいの偏見に満ちあふれている。

 こうしたネットしか情報源がなく、しかもそこに書かれているものが事実だ、と思い込んでしまう、その結果の一つが「朝日新聞売国奴」だろう。ニュースサイトでも、新聞社や通信社などの「プロ」のサイトに行けば、そんな記述はないのだが、なぜか、こうしたネット漬けの若者たちは、既存メディアに根強い偏見があり、信用しようとしないのだ。

 朝日新聞に対する偏見は分かりやすい一例に過ぎない。こうして、歪んだネット知識で、世の中のことを知ったつもりになっている若者が、社会にどんどん出てきていると言うことなのだ。これは恐るべきことと言わなければならない。この事実を私たちはもっと真剣に考えるべきだ。

 

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正義とは

 オウム真理教の引き起こした事件で死刑判決を受けていた七人の刑が執行されて、早くも1年半が過ぎた。日本列島、とりわけ私の住む西日本では何年ぶりかの大雨による避難勧告や避難指示などが発令される中、一斉にこの日、それこそ何事もなかったかのように、あたかも正義を振りかざすように、死刑が執行された。麻原教祖に至ってはたった一審の審判により事件の真相が閉ざされた。今から100年前、旧刑法時代だが、たった一審による裁判にて大逆事件の判決が真理を始めてからわずか2週間ほど後に判決、そしてそれより6日、7日後にあっという間に刑が執行され、12人の命が抹殺された。果たして何のための三審制だったのか、法の精神が封じられた司法判断に、真相は未だ闇のままである。

 死刑執行に関して、当時はテレビなどではどの番組でもまるでショーのように映像が流され、まるで真相解明がなされていないことに異議を差し込む余地のない、残忍な犯罪者の末路と言わんばかりの扱いに見えた。朝日新聞によれば、フジテレビの企業広報室は次のようにこの番組について説明する。「13人の死刑確定囚がいる中で誰に対して死刑が執行されたかという非常に重要な情報を視聴者様の皆様にわかりやすく迅速にお伝えするもので、問題があるとは考えておりません」と。

 確定判決として、リアルな死刑執行を、より早く、よりリアルに、という競争のごとく扱うことにメディアの使命があるというのだろうか。勝ち誇ったかのような報道ぶりに、正義はそこにあるのかという疑念が拭えない。

 欧米諸国からは当時の死刑執行に対して、残忍で非人道的との批判の声が出された。まして、井上死刑囚は「生きて罪を償うことができますようにこれからもどうかよろしくお願いします」と、支援者に思いを伝えていた。また再審請求中でもあった。それにも関わらず、一斉の死刑執行ということへのこだわりか、死刑を執行した。

 私は大逆事件の真相解明は110年が経とうとしている今でもなされたとは思っていない。真相解明を求め、再審を願う全国各地の顕彰会の活動はますます大きくなりつつある。死刑執行の前夜、安倍首相ほか与党幹部は衆議院赤坂宿舎で宴席を用意し、死刑執行の直接の権限を持っている上川法務大臣も、出席者の一人だったという。

 そして一年も終わりを迎える12月26日、慣習化したかのように、福岡拘置所において魏巍死刑囚の死刑が執行された。人の生命を剥奪する権限を持つ人物の、死刑執行の決定は、正義の執行だったといえるのか。欧米諸国から提起された疑念に対して、胸を張って正義と言い切れるのか。私には、死刑執行は殺人と同じ行為に思え、心は痛めつけられて、その日は眠れぬ夜を過ごした。

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底無しの格差拡大

 

 今日本で貧富の格差を巡る議論が盛んである。国会で野党が安倍政権に対して格差の拡大を攻撃するのに対し、安倍首相は格差は拡大していないと反論する。

 所得の格差には、競争の結果という一面がある。市場経済の社会であれば、ある程度格差がつくのは避けられない。また、一度は敗れても、再び挑戦できる柔軟な社会であれば、多少の格差は問題にはならないのかも知れない。警戒しなければならないのは、格差が固定化して、こうした再挑戦が難しい社会になってしまうということである。

 倒産すると再び企業しづらい。低所得者の子どもが十分な教育や職業訓練を受けられない。そうした環境であれば、所得の格差が世代を超えて引き継がれてしまう。人々の不満や失望が膨らみ、社会の安定を脅かすことにもなる。不況で低所得を強いられた人や無気力化した若者が再挑戦するには、雇用支援や教育、訓練が欠かせない。とはいえ、こうした人々を支えるセーフティーネットを整えるには、財源の裏打ちが必要だ。所得税の税率区分を見直して、高所得者の負担を重くする一方で、低所得者への減免措置を手厚くするのも一策だろう。

 格差拡大を容認することは、拡大の否定以上に挑戦的だ。ある程度の所得格差が生じるのは仕方がない。しかし行き過ぎると、不平等が世代を超えて階層が固定化され、教育や職業選択の機会不平等につながる。人生のスタート時点から希望が持てず、生きる気力がわからない社会になれば、経済活力も失われる。格差是正のためには、多様な施策が必要だが、まず低所得者層の底上げが必要である。例えば、正規労働者の過重労働を緩和して仕事を分け合ったり、最低賃金を引き上げたりすることで、低賃金の非正規労働者の急増に歯止めをかけることが急がれる。

 国民に強く自立を求める米国のような社会か、欧州のようにセーフティーネットや再配分政策を重視する社会か、格差拡大に注目が集まっている今だからこそ、国民に是非を問うべきではないか。

 野党だけではなく、与党である公明党自民党内からも格差拡大を懸念する声が出ている。両者の意見のどちらがより妥当かを考えることは、今後の日本の針路を考える上で、極めて重要な課題である。

 

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傲岸

 

 日本で格差社会の議論が始まって、かなりの時間が経つが一向に改善の気配はない。最近は、いくら働いても生活保護レベルの給与しか得られないワーキングプアの存在も大きくクローズアップされている。しかし、現在、残業代ゼロのホワイトカラーエクゼンプション、派遣労働者の正社員化抑制の派遣期間の延長、労働ビッグバンによる看護・介護職場への外国人の導入による、その厳しい労働環境と低賃金固定化の動きなど、却って悪化の方向に加速しており、非正規雇用者の増加や正規雇用者の低賃金化などの雇用条件悪化の勢いは止まらない。

 それでは正規雇用者でも低賃金で過重労働となり、まともな家庭生活は望めず、非正規雇用者は生存がやっとの賃金となり、いずれにしても生活破壊であろう。政治的配慮の再チャレンジ政策が始まるが予算もなく、ニート、フリーターは軽視され実効性は疑わしい。今や日本は格差社会から貧困社会に突入したのである。

 古色蒼然とした19世紀初頭の産業革命最盛期の野蛮な資本主義が復活するのか。国民困窮化、労働の市場原理化は消費市場を縮小させる。貧困層増大は中産階級減少となり労働力は劣化し、技術集約型製品の生産も難しくなる。要するに、日本の誇る「ものづくり」の弱体化に繋がり産業の空洞化も懸念される事態だ。前小泉政権や安倍政権などのアングロサクソン流の小さな政府の新自由主義路線支持の人たちは「努力する人が報われる社会」の実現を主張するが、それは仕事に疲れ切った貧困層の人たちに、今の社会を受け入れさせるための標語のようなものである。

 郵政選挙があった時、多くの学者、マスメディアが小泉改革を支持し国民多数も同調、新自由主義イデオロギー的勝利を収め、グローバリズム路線が世界の趨勢で、私たちは弱肉強食の時代に入ったと絶望せざるを得なかった。国際的には80年代に、その洗礼で苦境に陥ったラテンアメリカ諸国の多くでは左派政権が続出して路線変更をしており、先進国でも、サッチャー改革を誇ったイギリスでも社会支出の増加などの路線変更をしており、西欧、北欧でも、社会政策強化などの対抗策を講じており、あれから安倍政権の今日に至るまで突き進んでいるのは日本ぐらいではないのか。

 現行の改革路線では、正直なところ国民生活向上には繋がっていない。古来、国民の多くが貧困になり栄えた国などない。今、私たちは、これらの動きの中止や最低賃金引き上げなどの具体的な要求をして、貧困化に歯止めをかけなければならないのではないか。

 

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Education for Self-Cultivation

 

 学校教育について現職の教員の方と話をする時、教員の世代間において今と昔との間にある「雲泥の差」を感じずにはいられない。年配の教員は、「自分が若い頃は息苦しさや孤独感を感じたことはなかった。教師には多くの自由があり、生徒にはゆとりがあった。現在は、教師の自由が奪われ、生徒のゆとりが失われた」と縷々に述べた。なぜなのだろうか。今こそ、教育とは何か、という問いかけが必要な時期なのではないだろうか。

 学校教育には、「学力」を身につけさせること以外に、防災、環境、キャリア、交通安全、薬物教育、食育、あるいは生活指導、進路指導などがある。学校には多くのものが持ち込まれ、身動きが取れなくなり、機能不全に陥っている。私は教育開発を専門としているが、現在の政治家は、学校教育と学習塾とを安易に比較して、学校を不当に貶めているように感じられてならない。そして、安易な競争原理が学校現場に持ち込まれ、公立学校と私立学校、あるいは、公立学校間の序列づけが、高等学校の場合は「教育=学力=有名大学への進学人数」、中学校の場合は「教育=学力=有名高校への進学人数」でつけられている。本当にこれで良いのであろうか。

 戦後の高度経済成長を実現するために、日本の学校は会社や工場で働く人材を育成するための機関に変容してしまった。その過程で、家庭や地域が崩壊し、それらの役割を学校教育が負わされることとなり、「教育=学校」という図式が成立した。それ以来、「教育改革」は、「学校改革」となってしまったのである。そして、政治が「教育改革」という名目で、「学校改革」に介入してきた。政治家が「学校改革」を口にすれば、一般市民は「教育改革」と受け取り、有名高校や有名大学への進学実績が学校改革の成果と考えられるようになる。

 教育の本来の目的とは、人間形成にあるのではないか。他人との競争ばかり教えられた学生が、他者と協力して生きる術を身につけることができるのであろうか。大衆化した学校教育は、競争だけでなく、共生することを教えるべきである。政治が教育に介入する前に、なぜ日本の学校教育が機能不全に陥ったのかを考えるべきである。学校を取り巻く地域コミュニティや家庭などを、どう支援していくかも、政治にとって重要な課題であるはずだ。

 最近、自警団の方々に子どもの交通安全について話を聞く機会があった。「おはよう」と子どもたちに声をかけても、返ってこない場合が増えたと不安を漏らしていた。以前は、多くの子どもたちが率先して大きな声で挨拶を返してくれたと吐露した。朝起きて、「おはよう」というコミュニケーションの第一歩の挨拶は、誰が、どの場所で、教えるべきなのであろうか。

 

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多様化すべき学びの場

 高校生が学ぶ場は今よりも多様化され、高校進学時においても複数の選択肢を持つべきだと考える。例えば、定時制高校や通信制高校などは、たくさんの問題を抱えながら学びの場としてあるべき姿を示唆しており、それはまた全日制高校ひいては日本全体の進学準備体制の根本からの転換を呼びかけていると思う。ここでは二つだけ指摘しておきたい。

 一つは、様々な生徒がいるということ。私は全日制の高校を一年で離れ、通信制高校編入した。初めてのクラスは外国籍の生徒が多かった。東南アジア出身の四〇代の女性、ラテンアメリカからきた二〇歳前の女性、日本で生まれて中学まではアメリカで育った混血の男子生徒。そして、内臓疾患をいくつも持っていて、「私、こんなに病気があるんだ」と明るく自慢げに語る女子生徒。子どもを学校に連れてきた女性や、いじめから回避する目的で通信制に移った男の子もいた。沖縄で子ども時代を過ごしてろくに学校に通えなかった六〇代半の女性は、通信制で学位を取得したあと、その後一般入試を受けて大学に進学した。

 前年の単位取得がうまくいかずに留年した男子生徒はよく授業中茶々を入れてくれた。授業中化粧に余念のない女性生徒は、授業にはよく耳を傾けて「先生その説明じゃ、あの子にはわからないよ」といってラテンアメリカから来た女子生徒に説明してくれることがあった。家庭の経済悪化から転校・入学してくる生徒が増えていた。このようにさまざまな生徒が一つの場を共有することが、生徒同士の、生徒と教師との間の壁を揺さぶり崩していたと思う。

 二つ目は、縛られない教えと学びがあったこと。幸いにも、いや皮肉にも通信制高校の授業内容や方法に教育委員会や校長、教頭がうるさく注文をつけ監督することはほとんどなかった。進学や就職準備のための学習指導を念頭に置くことはないといってもいい。科学への興味を引き出そうと「今日は豆腐アイスクリームを作るぞ」と豆腐を買いに出かける理科の教師の目は生徒以上に輝いていた。高校を卒業したら絶対に読むことはないといって、私は多くの本を先生から教えられて読んだものだ。その中には鴎外の「舞姫」もあった。明治の官僚社会に自由な生を打ちひしがれ、恋人に狂気に陥れることになる主人公を許せないと正義感豊かに感想を漏らす生徒が溢れた。

 種々の障害・問題を背負わせれた人々が、明るい太陽のもとでこのような学びの場を持つことができるように社会全体が教育について考え方を変えていけば、大方の社会的な問題に明るい兆しが見えてくるだろう。全日制に入学するか否か、続けるか退学するかの二極ではなく、第三の選択肢として定時制通信制高校が果たす役割に期待を寄せたい。

 

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戦争体験者の責任を問う

 

 団塊の世代というのは、親あるいは身近な知人に戦争体験者がおり、日常的に戦争の悲惨さを聞くことのできた世代である。私の祖父母も朝鮮戦争を経験し、それを機に日本へ避難した経験を持つ。日本国憲法9条の存続の是非が日本で問われた去年も、祖父母は会うたびに「戦争は二度としてはいけない」と口癖のように言っていた。世界観も人生観も異なる私と祖父母だが、戦争を二度としてはいけないという点では完全に一致してきた。

 こうした直接の戦争体験者が、現役から退き、あるいは亡くなっていくなかで、戦争体験の風化が起きるのはある意味必然である。日本は戦後75年、一切戦争に関わらなかったかといえば、そんなこともない。祖父母が経験した朝鮮戦争からベトナム戦争、そしてイラク戦争と仮に間接的とはいえ日本も戦争に関わってきた。特にベトナム戦争は、日本に米軍基地がなければ、戦争遂行が困難と言われるほど日本の役割は大きかった。ところが、ベトナム戦争終結したあと、戦争と平和をめぐる国民的な関心は、大きく衰退していったように思える。なぜだろうか。実はそこにこそ団塊の世代の責任があるのではあるのではないか。

 つまり、団塊の世代の次の世代に当たるバブル世代や断層の世代に戦争と平和の問題について、語ってきたかということである。確かに、私の祖父母世代のように、実感を持って戦争を語ることは難しいし、我々の両親やその次の世代は戦争を追体験することはできない。しかし、これには我々の両親の世代が、直接聞いたその話を、どう自分自身の問題として教訓化できたのかという問題である。

 私は両親から祖父母の戦争体験を聞いた記憶がない。友人の両親や両親の世代の教員や同僚にも戦争の話は聞かずに育った。バブル世代や断層の世代と言われる層は、自身の娘に対して遠慮しているのか、最初から解らないと言って諦めているのか、いずれにせよ戦争と平和の問題が、ほとんど語られていないのは、間違いないようである。

 我々の両親、いわゆるバブル世代や断層の世代には、まだ戦後民主主義の輝きがあったように思う。授業中にも教師が自らの戦争体験を語っていたと聞いたことがある。そんななかで、その後60年から70年にかけての学生運動ベトナム反戦運動が生まれてきた。しかし、今や学校教育においてそうした成果を期待するのは、ほぼ不可能である。当然だろう。教育行政が様変わりしてきたこともあるが、戦争世代の体験を直接語り継ぐべき団塊の世代が、我が子にすらまともに対話をしてこなかったのだから、ましてはその孫の我々世代に伝わるはずがない。

 では職場ではどうだろうか。これもますます期待などできない。労働組合が形は残っているものの、組織率も大きく低下し、本来の機能をほとんど果たせなくなっている。若者の権利や人権の教育の場でもあった組合がこうなのだから、若者はいったいどこで権利、人権教育を実践的に受けることができよう。

 こうした状況を作ったのはいったい誰か。政府や文部科学省の責任を追及するのも大事だ。しかし同時に団塊の世代自らが、いったいこの75年間何をしてきたのかをもう一度自省してみなければならないのではないか。憲法改正派が国会で多数を占めるなど考えもしなかった。第二次大戦を公然と擁護する官僚が出てくるなど夢にも思わなかった。しかし現実は重い。もう逃げることなどできない地点に来ていることを自覚し、われわれに何ができるのか、何をしなければならないのかを考えるべきではないか。

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