抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

人の命よりも重い経済成長

2018年6月29日、安倍首相の一言から「働き方改革」が成立した。働き方改革、これまで頻繁に過労に襲われ命を落とした人たちがいる。その人たちのことを思えば、政府は漸く重い腰を上げたという印象である。しかし、この改革には多くの問題がある。今回は、働き方改革に関するこれまでの議論を振り返り、論点を整理したい。

 

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https://www.kantei.go.jp/jp/singi/katsuryoku_kojyo/choujikan_wg/dai4/siryou1.pdf#search=%27働き方改革+関連法案+労働基本法+パートタイム基本法%27

働き方改革関連法案は、雇用対策法労働基準法労働安全衛生法、労働時間等設定改善法、じん肺法、パートタイム労働法、労働契約法、労働派遣法の八本の改革案を束ねたものである。実は、先の実現会議が始まった当初、働き方改革は主に長時間労働の対策と、非正規雇用の処遇改善を目指す「同一労働一賃金」の二つとされていた。前者は労働基準法、後者はパートタイム労働法、労働派遣法、労働契約法の改正に関わっている。

まず、労働基本法改正案に盛り込まれる長時間労働対策のポイントは、時間外労働の罰則付き上限規制だ。労働基準法では原則として、一日八時間、週四十時間を超えて労働させてはならないとされている。ただし、過半数労働組合や職場の過半数を代表する者と労使協定を結び、労働基準監督署に届ければ、法定労働時間を超えて働かせることができる。この労使協定は労働基準法三六条に定められているため、三六協定と呼ばれている(https://www.roukitaisaku.com/taisaku/gendojikan.html)

 

三六協定を定める場合でも、時間外労働の限度時間は、一ヶ月四五時間、一年の場合は三六〇時間と規定されている。これは大臣告示ではあるが、法的拘束力はない。また、特別条項といわれるものがあり、「臨時的に、限度時間を超えて時間外労働を行わなければならない特別の事情が予測される場合には、従来の限度時間を超える一定の時間を延長時間とすることができる」とある。そしてこの特別条項には上限はない。日本の労働時間規制が事実上青天井になっていると暫し指摘されるのは、こうした理由によるのである。

 

改革案では繁忙期の例外引き続き許されるが、その場合でも年間の上限を七二〇時間とし、一ヶ月当たりの上限も単月一〇〇時間未満、二〜六ヶ月平均で八〇時間以下とする。

 

この改革案に対して批判的な意見が上がるのは、はたして、例外の単月一〇〇時間未満、二〜六ヶ月平均八〇時間以下という上限が、長時間労働対策として十分か、という論点である。一〇〇時間、八〇時間という数字は、現在の脳・心臓疾患の過労死認定基準が根拠になっている。このため、過労死や過労自殺の遺族からしてみれば「過労死する水準を法律で認めることになった」となるわけである。

 

もう一つの課題は、原則と例外が規制している対象が異なっているということだ。原則はこれまでの大臣告示をそのまま使っているため、本来の時間外労働だけしか規制対象としない。一方、例外の単月、二〜六ヶ月平均の上限に使われた過労死認定基準の数字は、休日労働も含んでいる。このため、休日労働も含めると、理論上は、毎月八〇時間、年間九八〇時間まで法定労働時間を超えて働かせてもいいことになっている。

 

高度プロフェッショナル制度の導入と裁量労働制の対象業務の拡大という点にも触れておきたい。いずれもそれまでの労働時間規制が大きく緩和された制度だ。前者は専門職で年収が高い人を労働時間規制から外す制度のことを言う。先のホワイトカラー・エグゼンプションに似た制度だ。後者の裁量労働制とは、あらかじめ労使で決めた時間だけ働いたとみなす制度のことだ。労働時間が長くても、実際に働いた時間に関係なく、契約した労働時間分を働いたとする制度である。後者については問題点が多く成立には至っていない。

 

問題というのは、裁量労働制をめぐるデータの問題だ。安倍首相は「厚生労働省の調査によれば、裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べれば、一般労働者よりも短いというデータもある」と去年一月の衆議院予算委員会で語った。そのデータの根拠として、二日後に加藤厚労相は「平成二五年度労働時間等総合実態調査」を上げ、平均的な一般労働者の労働時間が九時間三七分であるのに対し、企画業務型裁量労働制で働く労働者の労働時間が九時間一六分と短いことを紹介した。しかしこれに警鐘を鳴らしたのがある大学教授である。彼女は裁量労働制のデータが「平均的な者」のみを取り出して比較したことであることを指摘した。平均的な者とは、多くの人が属する層のことを示しており、全体の平均値ではなかった。そもそも一般労働者のデータは存在しなかった。それに対し二月に加藤厚労首は「一日の時間外労働の平均値である一時間三七分に法定労働時間の八時間を加えたものである」と説明した。裁量労働制と計算方法が異なる上、法定の八時間を下回る時間しか働いていない労働者を含む可能性があることが明らかになった瞬間だ。続くバレンタインの日、安倍首相先月の答弁を撤回し謝罪した。首相が国会での発言を撤回することは極めて異例であった。

 

こうした背景があり、裁量労働制の導入に転けた政府だったが、高プロフェッショナル制度の導入には成功した。この制度の導入により、実質的には一般の労働者に適用される労働時間の規制が全て外されてしまったことになる。時間外労働の割増賃金だけでなく、休日、深夜労働、休憩などの規制もなくなった。この制度が適用される業務はこう制労働省令で定められている。金融商品の開発や、アナリストなどが対象だ。なお、この制度は裁量制とは異なり、仕事の進め方について労働者に決定権があることは必要とされていない。政府はこの制度の成立について、成果で評価する制度ができたと喜んでいるが、現在の法案には、成果に応じた賃金の支払いを義務つけるような規定はない。年収要件はあるが、適用されても成果に応じた賃金がもらえるとは限らない。

 

ではなぜ安倍政権は「働き方改革」を進めるのだろうか。

 

長時間労働は過労死や過労自殺の原因になっている。労働市場が正規と非正規に二極化している問題も長く指摘されてきた。いずれも日本型雇用が抱えるマイナス面であり、政権が解決しようと考えるのには理由がある。しかし安倍政権が考える働き方改革はあくまで「経済政策」としての働き方改革である。そこを見落としてはならない。彼らにとっての働き方改革は「労働者を守る」ものではない。働き方改革の背景に横たわるのは、働く人を増やし、賃金を増やすことによって経済成長に繋げようとする考えだ。少子高齢化が進む中で、労働力を維持するためには、働いていない女性が労働市場に加わり、健康な高齢者にいつまでも働いてもらう必要がある。長時間労働を是正すれば、こうした人々が労働市場に出てくる。同一労働同一賃金が実現すれば、非正規で働く人の意欲が高まる。

 

これが働き方改革の論理だ。