抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

安倍という名の国難

2月24日に沖縄県民の意を問う投票が行われ、全体の72%もの人が辺野古新基地建設に反対する民意を示した。反対派が多数を占めるのは当然の結果だった。そしてこれも当然のように政府は投票を尊重することなく建設を進める方針を示した。以前ブログでも述べたが、今回の投票で既に明らかになった民意を再度示したところで、政府が沖縄の意見に耳を傾けないことは明らかであった。投票で民意を示すことは手段でありゴールではない。しかしそれが県民のゴールになっている印象を受けた。

 

今回の結果を受けてある新聞紙は基地建設に「反対の者VS賛成の者+投票に行かなかった者」という意味のわからない計算式をたて国民のミスリードを図った。このあまりに酷い見解を下支えしているのは、本土に暮らす我々なんだと認識すべきである。たとえ、「私は沖縄の民意を支持する」「基地建設に反対している」との立場を見せたとしても、人口比で99対1という圧倒的な力の差を考えた時、本土で暮らす人間は沖縄に対する構造的差別の加害性から逃れることはできない。


本土に暮らす人間は、なぜこのような理不尽が辺野古集落に降りかかっているのかという観点からこの人権に対する蹂躙を考えなければならない。今回の投票の結果を受け、県民投票の会の代表は「日本にいる一人一人が、自分のこととして考えてほしい」と訴えた。我々が、「沖縄問題」とラベルをつけて目をそらしてきた議論のボールは、今、本土側に投げられた。「差別される側」が提起した異議申し立てに「差別する側」が応答しないのであれば、そこに民主主義的な思想も人間としての感性もないだろう。


今の日本政府は明らかに民主性を失った権威主義集団だ。弱き者の意見は、無いものとして気付かない振りをする。外交という豪遊で歴代首相に比類しない頻度で海外に足を運ぶ安倍首相だが、一番近くにある沖縄には足を運ばない。強きロシアやアメリカには反論なく服従し、弱き沖縄には権力を振りかざす。まるで中学生のいじめを見ているようだ。


当たり前の疑問が提示されても、そんなことはお構いなしに事態が進んでいく。そのことこそが今の日本の最も憂うべき症状ではないだろうか。

 

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