抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

修論の評価

修士論文の評価基準は所属する研究科により程度の差はあるが、近年の潮流として研究手法を評価する傾向がある。確かに、修士課程に入ると研究手法を学ぶ機会があり、そこで学んだ手法を修論に取り入れるというのは教育のアウトプットの観点から一定の評価に値するということに論を俟たない。とはいえ、個人的には文献レビューに対する評価も研究手法と同じレベルで、またはそれ以上に重要であり、きちんと評価されるべきことと考えている。

研究分野により程度の差はあるが、特に社会科学や人文科学の領域では、既存の研究をどれだけ多く知ることができるのかといった量的な取り組みと、それらの研究をどれだけきれいに纏めることができるのかといった質の取り組みの二つが求められる。

研究領域を問わず、自分と同じような研究をした事例は多くあり、付随した研究にまで視野を広げると、読むべき既存の研究は莫大な量となる。「自分の研究に関する論文が見当たらない」といった声は特に修士一年目の院生からは多く聞こえてくるが、「ないわけがない」というのが答えになる。論文の探し方、論文の読み方はきちんとした訓練が必要であり、英語力でカバーできるほど簡単なことではない。また、「フィールドワークに行ったけれど、当初の予定よりデータが集められなかった」「フィールドワークで聞くべき質問を聞きそびれた」といった声もある。事前に多くの論文に目を通すことにより、そうしたリスクは回避することは可能であるし、実際にフィールドワークが失敗に終わったとしても、きちんと文献レビューができていればいくらでも潰しが効く。

とはいえ、たとえ多くの論文を読んだからといって、それらが自身の研究に反映されるかというと、必ずしもそうではない。論文を読んで内容を理解し、構造化し、血肉化する作業が必要とされる。どれだけ多くの論文を読んだとしても、この作業ができていなければ研究を進めていくことは困難となる。「自分は半構造化インタビューを行う」、「オープンエンドクエッションを行う」などと決めた院生でも、ではなぜその手法を使うのか?の答えとして「授業で習ったからとりあえず、、」と、習った手法を使いたい気持ちは皆誰しも同じだが、”手法を決めて理由を正当化する”のではなく、”理由があって手法を決める”ことをしなければ、研究を進めていくどこかの過程で必ず躓くことになる。

複数の研究の結果をまとめ、より高い見地から分析する手法に「メタアナリシス」がある。メタアナリシスを行うための条件としては、①既存の論文をたくさん読む、②集めた文献をきれいに纏める、ことが条件であり、修士レベルでここまで出来ていればとりあえずは及第点だと考えている。「大学院は研究の手法を学ぶ場」だと捉えられることが多い。きちんとした研究手法に辿り着くためには、まずは自分の研究に関する既存の文献に通暁する必要がある。もちろん、文献レビューはどう頑張ったところで効率化は期待できない。しかし、そうした作業は非常に重要なインプットであり、同時に、修士の学生にとっては大きなアウトプットにもなると考えている。

 

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