抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

奴隷国家日本

 最低賃金のアップは当然のことである。今日の最低賃金はあまりにも低い。確かに少しずつマシになっているが、未だに家族を養えるレベルにはなっていない。東京の「1013 円」でさえ、1900時間を掛けた年収は200万円に到底及ばない。したがって、2000時間を超える長時間労働によって生活を防衛する人も出てくる。しかも、その多くは、楽しい職場にはほど遠い。日産の前社長であるゴーン氏の年収は8億円を超えていた。「コスト・カッター」として名を上げたゴーン氏であるが、その「コスト」の末端の末端に底辺の労働者がいる。「カット」されるのは、その僅かな低賃金の一部である。

 エジプトのピラミッドを建設したのは、奴隷労働だとされてきた。膨大な労働量を可能にしたのは、巨大な権力と多数の奴隷であろうとされてきた。しかし、禁煙では異説も見かけるようになった。あれほどの高度の技術と膨大な労働量を得るには、自由労働者のモチベーションの高さが必要である。言われてみれば納得してしまうが、はたしてどれだけの確かな証拠があるのだろうか。

 現代の「自由労働者」にはどれほどのモチベーションがあるのか。少なくとも、最低賃金のボーダーラインをかろうじてクリアするレベルの労働者にあるのは“奴隷並み”のモチベーションには過ぎないのではないか。最低賃金労働者階級は、まさに“現代の奴隷”ともいえるほどだ。しかも、そのなけなしの賃金でさえ、「コスト」として無情にも机上の計算でカットされてしまう。社会保険雇用保険もなく、たちまちにして明日のコメに困る。

 最低賃金のアップが議論にのぼる時に、必ず経営側からブレーキがかかる。中小企業の経営を圧迫するというのだ。十年一日の如く繰り返されてきた「常識論」である。しかし、これは実は非常識きわまるだけでなく、人道上も許されない悪業と言わなければならない。大体、最低賃金すら払えない会社は、企業として成り立っていないのである。しかも、その最低賃金たるや「健康で文化的な最低限度の生活」でさえ難しいほどの不当な低さなのである。

 したがって、カットすべきなのは、労働者の賃金や雇用よりも、むしろ経営者側なのである。そうした経営者には、経営者としての能力がないことは明白であるからだ。たとえ、経済状況が今日のように厳しいことを考慮するとしても、その責任の重さと大半の経営者の豊かな生活を思えば、あまり同情の余地はないだろう。

 通常、リストラと言えば、まず下から何人ということになる。しかし、たまには社長以下上から何人というリストラをやった方が効果的ではないか。

 

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