抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

国際機関で働くということ(前回の付記)

 

 こんにちは。昨晩、「国連機関で働く私が転職を検討するに至った背景」というタイトルで投稿させていただいた記事が思わぬ反響を受けております。現役学生の方から国際協力を生業とする専門家の方まで、幅広い世代の方に記事を読んでいただいております。全ての読者に対し、ここに記して謝意を表します。中には忌憚のないご意見や、「共感した」「国際協力の内実を知ることができた」とのコメントも多く見られ、微力なりにも国際協力を考える素材として前回の投稿が寄与できたのではないかと考える次第です。また、記事を拡散させ、前回の投稿を幅広い世代へと繋げていただいた方々も多く見られました。感謝の念に堪えません。

 

ogrenci.hatenablog.com

 

 前回の記事を投稿する端緒として、国際機関で働くことを志す上での情報の素材が偏っていたこと、別言すると、国際機関で働く際に程度の差はあれ直面するであろう困難な側面に対する検討が十分になされていないのではないかという疑問がありました。それは、国連職員(場合によって広義の国際機関を含む)として働く日本人のマジョリティがマネジメント、いわゆる、専門性の低いセクターに従事していることに起因します。これはどういうことかと言いますと、ひとえに国連機関と言えども多くのセクターがあり、一般的に専門性が高くなるにつれ日本人は生き残れないと言われております(例えば、私が所属するセクターだと日本人が生き残るのは困難だと言われており、それが理由でセクターを変える職員もおられます)。ですので、専門性の比較的高いセクターで働くスタッフの場合、同じ職種といえど、全く異なった意見を持っているということです。この点を挙げて、現場でのリアルな声が偏っており、働く場として国際機関を把握するには十分とは言えなかったと感じておりました。

 また、国連職員をはじめとする国際機関職員が神格化されていたことも理由として上がります。国際協力を考える際、名前だけを見て、響きがかっこいいという理由だけで国連職員を目指そうとする若者が多いという印象を筆者は受けており、国際協力には様々な形で参入できるということを伝える目的でもありました。

 さて、前述したとおり、前回の記事には本当に多くの方々が一読を下さいました。その中で提起されたいくつかの意見や疑問に対し、筆者自身の主張を述べさせていただきたいと思います。また、前回の記事にて筆者の言葉足らずが理由で誤解を招く表現が一部で確認されたため、その点も含め、現時点での筆者の主張を示したいと思います。

 

ーファーストキャリアとして国際機関に入ることについてー

 

 結論から申し上げますと、場合によってはありです。場合というのは、その方の専門性、所属機関、所属セクター、更には勤務地域によってはその選択でも良いというものです。筆者自身、どこからキャリアをスタートさせるかに関して学生時代にはよく考えたものです。その上で、奇跡的にもドンピシャに自分の専門性に合うポストが見つかって、さらにそこに通ってしまったためこの業界でのキャリアをスタートさせることに決めました。この”場合によって”という抽象的な表現を具体化されているのが、同じ業界の大先輩である畠山さんです。筆者の投稿を受けて畠山さんが投稿された記事を一読いただければ、この”場合によって”という言葉の意味が腹落ちすることでしょう。

note.com

 

 二つだけ付記させていただきますと、まず前提として、筆者は計量分析を実務レベルで行うことが可能というだけであって、通暁する専門領域は別にあります。そしてその専門領域は質的な分野であるため、筆者の場合はカントリーオフィスでもよかったのではないかと思う次第です。二つ目は回帰分析表とインフォグラフィックに関するものです。前回の投稿にて「エビデンスベースが重要視される昨今において、むしろインフォグラフィックの専門職員を優先して採用する方向性に疑問がある」と述べました。この点は極端な主張になってしまい誤解を受けるものだったと反省します。分析と考察、そしてそれらをどう啓発する素材として提示するか、分析とインフォグラフィックは両方揃って初めて機能するものです。昨今の国際機関の一次データの取り扱いについては大いに疑問を抱いていたため、このような表現になってしまいました。申し訳ございません。

 しかしながら等ブログに投稿されている内容は共感できる部分が多く特に共感できた部分を引用させていただきますと

・カントリーオフィスの場合、同僚から学ぶ機会がほぼ消滅する。

・途上国では社会人が対面で学ぶ機会が殆どない。

・緊急支援がある国の場合、プロジェクト関連のデータ分析ばかり駆り出される。

・Specialist達のためのデータ分析や、政府のカウンターパートとの仕事がメインになる。

 

これらの意見は正に言い得て妙だと思います。貴重な紙幅を割いていただき、厚くお礼申し上げます。

 

ーデータを取り扱う仕事でスキルを高めたい人間は国連機関には行くべきではないのかー

 

 一般化できる問いではありませんが私はありだと思います。理由は、国連職員でデータを扱える人間はごく稀であり仕事が得やすい。分析可能な二次データは入手可能であり、その後のスキルアップは自分次第と考えるからです。私の知る限り、どの国連機関でも統計を扱う専門のセクターがあります。一方で、それ以外の職員で統計を扱える職員は限りなく稀であり、データ分析の部分だけ統計専門のスタッフや外部に委託しているのが現状です。しかしながら、データを扱えるスタッフはデータ分析には精通こそしていますが、そのデータの考察までする分野の専門性は兼ね揃えておりません。ですので、分野にも精通していて、尚且つ分析もできるスタッフは自ずと稀になり需要は高まります。何を持ってデータ分析ができると言えるのか、につきましては本稿の対象ではないため触れません。

 

ー国際協力がビジネスという捉えられ方についてー

 

 昨今、世界各国の民間企業が途上国に対し国際協力を行なっております。民間企業の場合、全くもって利他主義というわけではないため、やはり、支援先やフォーカスが当たる部分、当たらない部分に顕著な差が出てしまいます。国際機関の活動はその差を埋めるために注がれるべきものであり、民間企業と同じモチベーションで活動することで支援が極端に偏ってしまう、だから国際協力をビジネスと捉えるのはいかがなものか、というのが筆者の主張です。当然、これは動機に過ぎないので結果そうならなければいいのですが、あまりにも旧態依然の無駄な活動が多いのではないかと感じており、各国との忖度が支援の方向性に影響を及ぼしており、警鐘を鳴らさなければと考えました。

 

最後に

 

国際機関で働くことの難しさ、認識との差異を前回の記事を含め2回に渡り縷々に述べさせていただきました。とはいえ、国際機関で働く魅力は非常に多く、この業界でしか経験のできないことは沢山あります。実際に、そうした魅力が凌駕しているところで筆者は現在も国際機関で働いております。よく国際機関で働くには「運の要素が強い」と言われます。確かに、その主張は正しいとしても、それでも入りたいと願う意志と、戦略を持って事前に準備をすることで、国際機関での勤務は全ての人たちに可能性があると強く感じます。表現者は自粛し周囲は矮小する不気味な時代ではありますが、誰でも、何歳でも、身近な人と国際協力について話し合える時間と場所を持てるゆとりが、日本にはできればと願います。

 

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