抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

日本人だけがよければいいのか

 

当時、民進党の代表であった蓮舫氏が国籍喪失許可証書など一部の資料を開示した時には驚いた。やまぬ国籍二重との疑惑に終止符を打つべく取られた手であった。これほどまでに、後味が悪く、気が重くなった会見を私は知らない。

 近年、殊に日本を持ち上げるテレビ番組が多いときく。曰く、この国は自由で、差別が少ないという。東西で気温差は少なく、使用する言語も同じ、肌の色も同じ。はたして、日本は差別が少ないのではなく、あらかじめ用意された差異が少ないのではないか。本当の民主主義とは、お互いに隔たりあっている溝を対話で埋めることである。元来近しい距離にある人たちの間で、血なまぐさい争いが生まれるだろうか。

 「みんな横一線」を好む国民性は、翻って異質なものへの無言の拒絶を生むと思う。「私は差別的発言はしていない」という傍観者の中にある無関心こそ、差別の元凶になりかねない。無意識に差別を助長し、その責任を誰も負わずにうやむやにする性格があると思う。蓮舫氏の二重国籍を過剰に問題とし、吊し上げた与党議員は日本国籍を至上とする気味の悪いイデオロギーを感じるが、それ以上に、民進党内にいた同じ考えを持った議員たちは蓮舫氏の人権についてどう考えるのか。そして、「蓮舫って日本人なの?台湾人なの?」という疑問で溢れる世の中では、取り立てて関心が無くても人の内面を面白おかしく罵る行為が常態化してしまっている。

 この延長線上に、安倍政権はないか。支持率の急落が騒がれているが、そもそもここまでの長期政権になったのは、消去法によって選ばれてきたからではないか。消極的支持によって支えられてきた「最高権力者」が、仮想の海外との戦争を語り、憲法をねじ曲げようとし、移民問題には非協力を貫いている。

 私は日本で育ち、お世話になった人も家族も日本にいる。だから世界に誇れる日本になってほしい。しかしことあるごとに「お前は日本人か?」と問い続ける日本が、国際社会において何を語ることができるだろう。

 

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