抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

文系でも数学を学んだ方が良い理由

こんにちは。

 

今日は文系であれ数学はやっておいた方が良いということをぼやいていきたいと思います。その理由は主に3つあります。1つ目は、出来る人が少ない、ということで、そのため希少性が高くなるからです。2つ目は、数学は非常に汎用性が高く、業種問わず至る所で活用できるということです。最後に3つ目として、数学を通して高い思考力を身につけることができる点です。とはいえ、私は特に数学が得意というわけではありません。一つの問題を解くのに一日かけて、結局なにも解けずに一日を消化してしまう時も多々あります。

 

1: 数学ができる人は少なく、そのため希少性が高い

 

 ここで述べる「数学ができる」というのは、大学レベルの数学がある程度理解できると定義しておきます。そうしなければ、この先書き進めていくことができません。さて、世の中の大半の大学生は、大学レベルの数学はおろか、高校レベルの数学も理解できていないのではないでしょうか。高校の数学の教科書を見返してみると、重要定理の証明はきちんと説明されているものの、高校生はそれを理解できていないのです。それはなぜかというと、高校の授業が教科書の内容をきちんと解説していないからで、実際の高校の授業では重要項目の解説を手短に行った後、例題の解説、それに続いて問題の演習といった授業が行われていて、弟の話を聞いても、三角関数の加法定理の証明は授業で解説しないのだそうです。ですので、大学生の大半は高校レベルの数学さえ理解できないのではないでしょうか。もっとひどい場合だと、例えば、(-1)×(-1)=1 を示せというと、できない学生がいる。さらに、1秒間に1メートル下がる気球の1秒前の位置は現在地より1メートル上といった直感的な理解ができない学生がいる。そのような実情の中で、大学数学を理解できる人は希少性が高くなるのです。最近だと、理工学部の大学生が線形代数を理解できないといった話も聞きます。

 

2: 数学は汎用性が高い

 

 数学を身につけても汎用性がなく、就職先に困るといった意見があります。この意見には、反対したいです。理由は、数学は最適化を学ぶ学問なので、実際には汎用性は物凄く高いからです。数学の基本的な考え方は、どこに物事の本質があるのかを見極めることです。数学では、要らない非本質的な部分を捨てるのが大事です。ですから、数学の定理は発見であり、発明ではありません。この考え方は、社会のあらゆる場面で使えます。物事の最短ルートがわかるため、数学ができない人間と比べ物事の理解が速くなります。先日上司と話していた時、上司から「あなたは数学ができるので、生産性が高いのだと思う。どの企業にも数学が得意な人間が一人でもいれば、他社との差別化が可能なのに」と言っていました。しかし、これは誤りです。なぜかというと、どの企業にも数学ができる人間がいれば、生産性は同じになるからで差別化ができないのです。この例は数学の特性をよく表しています。数学はそれ自体が抽象的なため、汎用性が低いと言われますが、実際には数学は「味の素」みたいなもので、理解しておけば、どの分野にも使えるのです。また、これは学問にも当てはまります。私は経済を学びましたが、数学ができる学生が経済学を学ぶ際の参入障壁はかなり低くなります。最近、「数学を使わない経済学」といったインチキ本が売れていますが、そういった本が売れるのは、数学の基礎学力が著しく低い学生が経済学を学ぼうとするからです。実際には、経済学一つをとっても、数学の汎用性は高く、ほぼ例外なく全ての学問を学ぶ上でアドバンテージになります。

 

 3: 数学を通して思考力が身に付く

 

 数学は実用的ではないという意見があります。確かにその意見には一理あると思います。実用的という意味では、理学部で教えているような数学の大部分は実用的ではありません。コモホロジー理論やガロア理論、表現論、スキーム論、多様体論、測度論といったものを大学を卒業してから使う学生はごく一部の仕事を除けば、まずいません。これは物理学でも同じことが言えて、量子力学や相対性理論のような基本的な物理であっても卒業してから使う人はほとんどいません。しかし、それでは、そういった「実用的ではない」学問をやめて、たとえば保険数理やプログラミング、有限要素法、ゲーム理論といった実用的な内容を教えれば世の中に貢献できるのかというと、それはそうはならないと思います。コモホロジー理論や量子力学は確かに実用性に欠けますが、これを理解するのは、講義に出て座っているだけでは不可能です。私も泣きながら勉強して、それでも理解ができなくて一旦数学から離れて、その後また理解を進めて、もちろん一人で独学なんてできるはずもないので、数学科の教授や数学科の生徒に聞きながら少しずつ理解を深めていきました。例えば、「バナッハ空間の閉部分空間上定義された有界線形汎関数は、ノルムを変えることなく全空間に拡張できる」というのは、ハーン・バナッハの拡張定理ですが、一言で簡単に述べられている定義を理解しようと思うと一朝一夕ではまず無理です。こういった純粋数学に比べると、応用数学は実用的だけに、抽象度が低く、頭を絞る機会は少ないです。抽象的な概念が出てくると、途端に諦めて「何かよい参考書やおすすめの勉強法はありますか」という質問を投げかけてしまう。数学は、自分の頭で考える機会を提供してくれる学問であり、これは例えば、英語の学習などでは到底身につかないことです。私は文系のバックグラウンドではありますが、周りの影響で数学も勉強してきました。そのため、極端な文系思考の学生と極端な理系思考の学生が周囲にいます。数学は真理なので、答えがあります。一方で文系は答えがない世界で、一般的には答えがないため色々考えると言われていますが、実際には、答えがないため、ネットの情報等に依存してしまい、問題を考える機会が少ないのだと思います。

 

 上述した3の理由から、私は文系であれ数学を勉強した方が良いと考えます。

 

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