抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

あまりにアンフェアではないか

 

 夏が近づくにつれ夜が長くなってゆく。

 薄暗い車内灯を乗せて滑り込んでくる列車に包み込まれるように、疲弊して自宅に向かう若者たちの姿に正気がない。肩書きだけの年寄りに比べれば、彼らにより大きな責任と報酬を与えるべきではないか。

 日本の遅れた部分はひとえに、退場すべき人がいつまでも退場しないことにあり、「痛みの伴う清算」の先延ばしにある。停滞腐敗の原因が若者たちになければ、痛みは彼らにあるべきではない。

 毎日12時間近く働く、運送会社の車を運転して、25歳の青年の手にする給料は年間300万円余。会社が医療保険もつけてくれない若者の国民健康保険料は、年間40万円を超える。譲渡所得がその若者の10倍をはるかに超え、毎年数千万円の収益を上げる大地主の保険料が年間60万円。若者は今まで忙しすぎて医者にかかったこともなく、かたや池主世帯は多人数世帯で病人が数人いる。この保険料の決め方はあまりにアンフェアではないか。

 法律を熟知している利口な人、弁護士や税理士を雇えるゆとりのある人は、最低限の社会保険料で最大限の保障を受ける。社会経験の浅い若者は日々の仕事に精一杯で、自分の支払った社会保険料の税控除さえ申告したことがなかった。

 私は少しお節介な部分があるので、彼の支払った数年間の社会保険料をメモして渡し、それぞれの年の源泉徴収票を会社からもらって税金の更生申告をするようにアドバイスした。「改革には痛みを伴う」と首相は言うが、市民から直接窮乏を聞く私は無力な自分が歯痒い。すべての災いがパンドラの箱から飛び去った後、「希望」だけが残ったというが、これでは若者や働きもりの国民に、明日への希望など湧くわけがない。

 大手電気産業では一度に数千人〜と言う大規模のリストラが始まった。「コロナの影響ならまだしも、経営者の景気判断の誤りや、自らの依って立つ古い経営体質が原因で経営不振を招いているというのに、なぜ現場労働者や中間管理職だけがリストラなのか」と、リストラ退社を申告された友人が鬱憤をあらわにする。

 思えば私の上司が、「世界的な景気の悪化により、今後はできるプロジェクトも限られる」と発言していたが、既にあるプロジェクトが現場に即したものと言えると思っているのだろうか。そもそも、巨額の資金があり、金の量でものをいわす政策が功を奏して機関の名声が上がったとしても、それは業界努力とは言えまい。業績というのは、組織のトップや従業員がどれほど悪条件で努力したかを問うているわけで、安物の政治家のように「不況で状況が悪い」など更々説明の必要はない。誰でもできる運営をしていたのだからそれなりの結果になった、というのも当然説明不要で、トップなどいなくても同じである。

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