抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

時代と雇用

兵庫県宝塚市が「就職氷河期」世代を対象に、正規職員を募集したところ1600人を超える応募が集まったという。選ばれたのは4人ということから倍率は400倍である。ここから分かるのは、30代半ばから40 代半ばまでの世代が、今も失業や劣悪な雇用環境に苦しんでいるという現実である。

 「就職氷河期」という言葉が広まったのはアジア通貨危機や消費増税の影響でデフレ不況に突入した1998年頃からだ。業績悪化に直面した企業は新規採用を大幅に絞り、非正規社員の割合を増やすようになった。その後、2000年代半ばには雇用環境が改善するが、リーマンショックの発生で新規採用が再び絞られてしまう。

 その弊害は、今や明らかだ。結婚適齢期に収入機会を奪われた層が生まれたことで、少子化が一気に進んだ。企業の年齢構成は歪になり、人事に支障をきしているところも出てきた。バブル世代があまりに気味な反面、氷河期世代が極端に少ないので、組織の中核を担うべき人材が圧倒的に不足している。

 世代間の技術継承の問題もある。30-40代がこっそり抜けているため、上から引き継ぐべき技能が引き継がれていない。経営者は慌てて採用を増やしているが、キャリアや技能は急には形成できない。10年以上に渡って新規採用を抑制してきたために、世代間のバランスが完全に狂ってしまったのである。

 新自由主義者は、就職に失敗するのは自己責任だと烙印を押す。実に浅薄な考えという他ない。氷河期世代が就職に苦しんだのは、バブル世代や今の新卒世代に比べて、努力や能力が足りなかったからだろうか。そんなはずがない。学校を卒業した時期が、運悪くデフレ不況と重なってしまった。それだけの違いである。

 氷河期世代では、キャリア形成の最も重要な時期にその機会を奪われてしまった。最大の原因は経済政策の失敗である。デフレ不況を放置し、公務員の数を減らし、規制緩和で雇用の質を引き下げた。政策がその逆のことをやっていれば、「失われた世代」など生まずに済んだはずである。

 日本は人口比で見た公務員の数が、他の先進国と比べて極端に少ない。高まる行政需要に応えるためにも、公務員の数を増やすのは急務と言える。宝塚市のように、財務状況が苦しい中で氷河期世代の雇用を増やすのは立派である。しかし、本来は国が率先してやるべき事業ではないのか。緊縮財政の間違ったイデオロギーを捨てさえいれば、「失われた世代」を救済する手立てはいくらでも見つかるはずである。

 だが、政府支出によって雇用を増やすことはできても、失った時間を戻すことはできない。本来、技能を蓄積しキャリアを積み上げていくべき時期に、その機会を失われるがままに放置したことのツケは、これから社会全体で支払うことになる。

 国家は世代の連続体だ。一つの世代が「抜けて」しまうと、その影響は社会のあらゆる方向に及ぶ。この過ちを繰り返すべきではない。今後、リーマンショックのような経済危機が再び襲来しても、若者の雇用だけは守らなければならないのだ。

 

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