抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

人権教育

 

人権を考えるときに重要な概念として「権利の保持者」と「責務の保持者がある」。前者は、生まれながらに人権を持つもの、すなわち市民一人ひとりを指している。だが、市民が人権を学び、社会への参画意欲を高めても、市民の人権を実現する「責務の保持者」、一義的には国や自治体、公的機関等の応答力が高まらなければ、人権を学んでも鏤塵吹影になってしまう。従って、大学で行う人権教育には、この両輪を包含することを、人権教育として捉えるべきだと思う。
例えば、貧困の問題を、その人の所得の低さではなく、教育の不平等や労働の権利、意思決定への権利が剥奪され、潜在能力が奪われてきた結果であると捉える。逆説的には、これらが十分に整えば、問題は解決できるのではないかと考える。
他方、市民の権利を実現する責務の保持者には、その責務を明らかにするとともに、説明責任と応答能力を高めるような支援をする。権利の保持者、責務の保持者、相互の関係を強固にすることによって、問題解決のメカニズムと、持続可能な発展の循環を生み出すと思う。
が、実際の大学教育での人権教育は、なぜか人権=思いやりに収斂されている。
 

f:id:ogrenci:20220114080519p:plain