抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

2020-01-01から1年間の記事一覧

脆弱性

新型コロナウイルスがすベての人の階級、地域、年齢、性差などにかかわらず被害をもたらすという警告は、一見正しいようではあるが正確ではない。いや、突き詰めれば間違いである。 ジャレド・ダイアモンドによれば、1492年、コロンブスが、イスパニョーラ島…

敗者の想像力

上京してはや半年を迎えようとしている。東京の冬は明るい。生まれ育った滋賀の山奥では、冬はいつも凜々としているが、夜は暗く、寒い。 ところで、先日、年末年始に先駆けて祖父母の家に訪れた。母親が子どもの頃の話に話題が移り、当時の高度経済成長期の…

紅葉と怒り

破竹の勢いで感染者を増しながら、「コロナ」は我々の日常生活を大きく一変させた。特に、宿泊業と飲食店は甚大な被害を受けたとされ、そこで働く多くの従業員たちは敢えなく職を失ってしまった。 そうした現状を鑑み、政府は主導となって幾つもの対策を講じ…

無辜のいのち

北風が吹き付ける日々が続く。広い世界には銀世界の地も泳げる地もあろうが、ここ東京の路地ではまだ落ち葉が風に舞い、枝先の僅かな残り葉が光を反射しながら、別れを惜しむように揺れる。冬の日差しは短いけれど、照りつけると厳しい。気のせいか、肌が焦…

「抵抗」ブログの移行について

平素よりお世話になっております。今回は「抵抗」ブログの移行について周知させていただきたいと思います。 振り返れば、私はブログ「抵抗」を高校3年生の時から書き続けてまいりました。不定期での更新でありながらもブログを書き続けてこれたモチベーショ…

崩壊は我々が支持した

時折どこからともなく秋を運んでくれる風によって、稲穂は少しづつ色付いていく。遠い彼方まで続く稲穂の波、伸びた畦道、そして丘や山々。日本に生まれたことの喜びを素直に感じる光景だ。蕎麦やパンなどを口にしていても、見事に育てられた稲穂には先祖帰…

不文律

待ち構えてみる花火、もちろん結構だが、この季節乗り合わせた列車の窓の闇にふと大輪の花火が咲いてくれるのはもっといい。列車はたちまち通り過ぎふたたび窓にきれいな花火をみることはない。目じりに残った光の粉をいつくしみながら旅を続ける。ひと夏に…

得手に帆を揚げる

東大出身で聡明な友人が自分の人生を大切にするために外の音を断捨離しているらしい。思えば自分も外の音をできる限り消音にすべくSNSを止めた。一人暮らしが再開し待てど届かない冷蔵庫を垂涎していたけれど、気づけば冷蔵庫が無くとも生活できることを知っ…

読者様へ

平素よりブログ「抵抗」をお読みいただきありがとうございます。当ブログの射程は「弱者からみた、強者への訴え」にあります。記事を書く際には、弱い者が感じる、痛み、歯痒さ、生きづらさ、矛盾、などを念頭に置きながらその対極に立つ「強者」への「抵抗…

働かせる自由の拡大・働く自由の縮小

労働者の破壊が凄まじい勢いで進行している。この20年で労働者の生命と健康と生活を守るための規制や保護が、次々と撤廃された。その変化を一言で言えば、「働かせる自由」の拡大、「働く自由」の縮小である。 企業は、正規雇用を非正規雇用に置き換え、労働…

オワコン

数日前、ある国連職員の方のポストが廃止されることが決まったという投稿を目にしました。まあそんなことはこの業界ではこれまでも多々起きていたことだと驚きはしませんでしたが、時を同じく、その方の職位を知り、私は呆然としました。国連機関の様相が変…

風鈴の音

風鈴の音が、いかにも涼しげなメロディーを奏でる。水を打った庭先からひんやりとした空気が気持ちいい。隅に置かれたうちわを手にして、ゆらゆらと動かしながら遠くに視線を送る。 日本の夏の古典的な光景だろうが、今の都会ではもうほとんど見かけない。こ…

無菌状態は健全ではない

子どもの頃、葡萄のぷりぷりとした小粒の実をいくつもほおばっては、もぐもぐと動かして実と種を取り分けた。甘酸っぱさが広がり爽やかな気分になりながら、空に向かってピッピッとザラついた種を飛ばす。あの開放感は、そういえば最近はほとんど味わってい…

近況報告

こんにちは。8月からキャリア転換、そしてそれに伴い自分の中の優先順位を見直すことにしました。下記、ご報告まで。 1. SNSを止めました。 アカウントも既に削除しております。お世話になった方々、本当にありがとうございました。この決断に至った理由はい…

令和は輝ける社会に

海外から日本に戻ると、言いようのない違和感を覚えはじめてかれこれ数ヶ月になろうか。その度ごとに、一体何がこれほどいらいらさせるのだろうかと長い間、モヤモヤしてきた。やがて、私たちの顔、その表情ではないかと思い始めた。 日本人は、豊かな表情を…

私はヌジューム、10歳で離婚した

2019年3月16〜5月上旬、児童婚をテーマにした映画「私はヌジューム、10歳で離婚した」が東京・名古屋・兵庫で上映された。物語は中東のイエメン、10歳の少女ヌジュームは1人で裁判所に駆け込み、離婚をしたいと訴える。この作品は、2008年にイエメンで実際に…

構造的暴力

平和な世界とはどういうものなのだろうか。戦争がない世界と考えたとしても、現代の世界には貧困や人権侵害などが様々な国で存在し、それは先進国でも例外ではない。社会的構造が貧困や環境問題を生み、人間が本来持っている寿命や可能性などを阻害すること…

二つの奇跡

「橋の所には、人がいっぱい死んでいました。真っ黒に焦げて死んでいるもの、ガラスのかけらがからだにいっぱい刺さって死んでいるもの、いろいろいました」「川縁には死体がそこら中にごろごろしていた。その中にはまだ死んでいない者もあり、『お母さーん…

Hopeless

コロナで顕在化したのはこの国の貧困であった。私自身、現代の貧困問題については体験的に理解しているつもりだったが、私の表面的な理解を超えて社会の「貧困」がここ数年で一気に加担していることが余すところなく明らかにされたように感じた。とくに衝撃…

より良い社会環境を築きあげたい

私も、高校時代、向学心と受験勉強の矛盾、画一的で味気ない一斉教育に不満と怒りを覚えた生徒の1人であったが、この問題に回答を与えてくれる教師には出会わなかった、そして学校を辞めて編入した。また後になって、日本の社会における職場と教育機関の断絶…

あまりにアンフェアではないか

夏が近づくにつれ夜が長くなってゆく。 薄暗い車内灯を乗せて滑り込んでくる列車に包み込まれるように、疲弊して自宅に向かう若者たちの姿に正気がない。肩書きだけの年寄りに比べれば、彼らにより大きな責任と報酬を与えるべきではないか。 日本の遅れた部…

「いらっしゃいませこんばんは」が気持ち悪い

数年前からコンビニ店員の挨拶が長くなった。とても耳障りだ。基本的に「いらっしゃいませ」も「こんばんは」も、言われて気持ちの良い言葉のはずだ。それが合体したのだから二倍気持ちが良くても良い理屈だが、これがどうしたものか気持ちが悪い。それぞれ…

政治家というもの

子ども時代に文化大革命期をくぐり抜けたある中国人研究者から、「日本の政治を見ていると、まるで子どもの遊びのようだ」と言われたことがある。教室での発言一つで友人たちに糾弾され、指示する人を間違えたら排除され、命まで奪われかねないという厳しい…

次の世代に何を残すのか

戦後、時代の節目や何かのきっかけで「戦争責任」が議論されることがあったが、ここ数年その言葉すら聞かれなくなってきた感がある。昔、とある番組のドキュメンタリーで、主人公の男性が青臭い正義心で両親に「なぜ大人であったあなた達が市民として戦争を…

維摩一黙

出る杭は打たれ、空気は読まされる。 伝統的体質とも言える日本の苦々しい雰囲気に触れたのは、マクドナルドの店員が「時給一五〇〇円」を求めてデモを行った前後のことである。大規模にフランチャイズ化したファストフード店は、学生にとって、ごくありふれ…

国によって殺された人々を想う

複雑な世界を読み解く時、国家(権力・統治機構)と国(民族・国土・文化)を分けて考えると、ある種の視界が開けてくる。国家益と国益はしばしば衝突する。国家によって国が蹂躙、収奪、抑圧された歴史を日本人は先の対戦で経験した。沖縄への米軍基地の押…

2万個の穴を埋める

現代日本社会における自殺は、特別な人たちに特別な形で起きているのではない。日本の自殺の特徴は、それが社会構造的な問題になっているということだ。もし自殺が個人的な資質や性格が原因で起きているのであれば、ある年は4万人亡くなって翌年には1万人と…

排除型の社会に終止符を

五年も前になるか、東京の朝鮮学校高級部の公開授業を見学したことがある。覗いた教室では、社会科の授業で、近代ヨーロッパの啓蒙思想を教えていた。雰囲気は”一時代前の学校”のようだった。教師たちは厳格そうで、生徒に茶髪は一人もいない。若い女性の教…

強権

橋下前大阪府知事の政治に関する考え方に危険なものを感じるため、以下三点指摘しておきたい。 第一にその発想が善悪二元論であるということである。自分の考え方は「善」でそれに反対するのは「悪」という決めつけである。「選挙に勝って白紙委員をもらった…

日本政府の視野狭窄によって無視されてきた地域の歴史

本土に居ると、「きれいなサンゴ礁」「美ら海水族館」という彼らにとって都合のいい煌びやかな沖縄県だけが切り取られ、負の歴史を受け付けない無言の圧力に息が苦しくなる。 お酒の席のことであった。ある教員が居酒屋に備え付けてあったテレビが流すニュー…