抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

崩壊は我々が支持した

 

 時折どこからともなく秋を運んでくれる風によって、稲穂は少しづつ色付いていく。遠い彼方まで続く稲穂の波、伸びた畦道、そして丘や山々。日本に生まれたことの喜びを素直に感じる光景だ。蕎麦やパンなどを口にしていても、見事に育てられた稲穂には先祖帰りのような不思議な魅力が潜む。自然が作った美の造形が視界に迫る。

 棚田になると、その造形美をさらに追求したようにさえある。農民は代々、美を意識しながら小高い山の斜面をたんぼに作り変えて耕してきたのではないだろうに、なんと魅力的な構図だろうか。こうした棚田も減反政策によって放置されたり、また大型機械の導入で平坦で広いたんぼに姿を変えたりして、多くが消えた。

 稲作文化に尊ぶ私たちだったが、今や衰退の途にある。水田を守ったつもりが逆の現象になったのは、ひとえに政策のせいだろう。だが、それを指示したのは私たちであった。同時に、自動車など貿易外交の果てが稲作にも及んだ。稲作ばかりではなく、野菜、果物、そして酪農も同じ運命にある。国際化は大切だけれども、日本が日本であるために風土とか伝統の本来の意味を、きめ細かく一人一人の暮らしや食文化に向けて考えてみる時期にあるのではないだろうか。

 自立も哲学も計画性もない急速な近代化政策の一つが、棚田の石垣を崩したと言える。いつまでも公の下敷きのままではたまらない。大型機械の入らない広さが、高齢者にとっては身の丈に合っているのだという。これからの生き方の提言とも言えそうだ。

 

f:id:ogrenci:20210105200209j:image