抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

「抵抗」ブログについて

 

 いきなり熱湯に入れれば飛び上がるが、少しずつ熱していけばーーこのゆでがえるの比喩は、はたしてどこまでが本当なのだろうか。インドの道端で、男性が鶏の首を切断する光景を目の当たりにして吐き気を催した性格なので、実験して試すつもりはない。生物学的真実はともかく、日本の為政者や大企業に、ゆでがえる的傾向が強いのは真実と思わざるをえない。

 行政が「お上」として強く捉えられがちな日本社会の思潮では、市民的自由を制限する行政の権限は最小限に留めるべきである。しかし、昨今にみられる政治の私物化は、その対極に今という時代があることを示唆している。2020年5月、燎原の日の如く感染者を増やしながらも勢いを増すはパンデミック”コロナ”である。「アベノマスク」の納入業者の一つが、設立三年目の会社だと明かされた時はさすがに椅子から転げ落ちて頭を強打したが、問題の大きさに比べて非難の灯火は小さいという危機感を、その認識を我々は絶えず持っておきたい。

 友人であり学友の石川氏が「アベノマスク」の発注プロセスにおける汚職のリスクを分析したところ、現在入手できる情報から0.304(1.000が最高スコアであり、このスコアが高くなるほど汚職のリスクは高い)とのスコアが算出されたという。彼いわく、この数字が0.27以上であれば、汚職のリスクが高いと評価されている。あくまでも「リスク」であり汚職があったと断言することはできないと添える石川氏の言葉を、我々はどう捉えるべきであろうか。

 本ブログの社会的役割が速報性にあるのではないことは認識している。だが、今この社会で起きていることの意味を深く考えようという方々に情報と論考を提供する上で、タイミングはやはり無視できない重要な要素である。民主主義的な手続きを完全に無視した沖縄の米軍基地問題や、子どもを労働力としか捉えられない教育の問題、「政治から逃げたくても、政治が起きかけてくるから辛いよね」と口にした友人の顔が浮かんだ。

 市井の人々を覆うさまざまな問題を前にして、意図的な「事実」の捨象が常態化している。このブログでは公明正大な現状分析・原因追及とともに、対抗軸と未来への展望を提示することを目的としている。レミングの群れが断崖もしくは湖水などに突き進んで自殺することは迷信に過ぎないが、不合理故に嘆く自分の姿が目に見えていたとしても、方向転換が効かず、あたかも慣性の法則に支配されているかのように粛々と絶望に向かって行進していく社会の悲劇を、この国は「自分には関係がない」と突き放してきた。

 超大国の干渉とそれに隷従する軍政や独裁政権暴力、魯迅の言った「軍暴治下の臣民は、たいてい暴君よりももっと暴である」という言葉を思い出させる構図は、さまざまなバリエーションを取りつつ、日本でも確実に根を張っている。辺野古新基地建設をめぐる現政権の横暴は、その象徴だと言える。

 もちろん、どんな政策にも一長一短があり、どれがもっぱら正しいかは言えない。例えば、世界各国の選挙制度もそれぞれである。議論を重ねた上で、それぞれの国民が判断するしかない。しかし、少なくとも、熟議の上にも熟議を重ね、その選挙制度はどのような原則に基づき、どのような効果をもたらすのか、吟味するのが当然ではないか。民主主義のルールはバナナの叩き売りのように数をやり取りするものではない。

 さて、本ブログを通して、はたしてどれほどの問題提起ができるのであろうか。相容れない自信と不安とが対決の潮目で渦巻いている。長期的な更新を何より大切にしたいため、定期的な更新こそ期待に添えないが、”小さな抵抗こそが希望になる”というテーマに恥じないように、浅学非才の身ではあるが、更新を続けたい。裾野広い議論に繋がることを期待して。

 

 

                                    2020/05/19  

 

 

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