抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

構造的暴力

 

平和な世界とはどういうものなのだろうか。戦争がない世界と考えたとしても、現代の世界には貧困や人権侵害などが様々な国で存在し、それは先進国でも例外ではない。社会的構造が貧困や環境問題を生み、人間が本来持っている寿命や可能性などを阻害することを平和学者のガルトゥングは構造的暴力と呼んだが、同時に、戦争がなくても構造的暴力がある状態を消極的平和と呼んだ。

 最初の問いへの最終的な回答は、構造的暴力もない「積極的平和」というものには違いない。しかし、それはどのように築いていけばよいのだろうか。

 現実の世界ではそれはただの夢物語でしかなく、アメリカはイラクを攻撃し、国連の地位は地に堕ちた。また、ILOとUNICEFが公開した報告書では、世界で子どもの5人に1人が極度の貧困の中におり、1日1.9ドル以下で暮らしていることが伝えられた。世界富豪トップ8人の資産が、下位の36億人分という報告もされ、これを構造的暴力と呼ばずしてなんと呼ぶのだろうか。

 近年では環境と平和を両軸に考える機会が増えてきている。なぜなら、環境問題の一つの問題として捉えていては解決を妨げ、貧困や児童労働、経済システムなど様々な問題と関連性を持つものが、現在の地球的な問題となっているからに他ならない。そこで考えたのは人間のつながり、つまり人間の相互依存性である。人間が基本的に必要なものは衣食住であり、例えば日本はそれにどう関わっているのか。食料自給率は低いので外国から大量に輸入し、住宅に使う木材も衣服も同様である。そこから私たちの豊かな生活は成り立っていることは忘れてはならない。

 結局、積極的平和を築くための最も基本的な方法は、個人の意識のありようである。人間としての立場を理解し、相互依存性を生活の中で理解していくことが非常に重要なことだと思う。

 そしてそのプロセスを作るのは教育である。現代の日本の教育システムは学校が受験のための教育機関となり、思考能力を育てる教育をしていない。教育によって思考能力を発達させることは「子どもの権利条約」第二九条で明確に目指されているはずではなかったか。

 私たちは皆つながりあい、お互いに支え合っていることに気づかなければならない。そこから積極的平和を築くための可能性が生まれ、現実の問題を打破していくことにつながるのである。それは人間が共生することの意義でもあるだろう。

 

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