抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

不安は人間を攻撃的にし、社会を排除型に変える

戦後半世紀以上経っても戦争責任を曖昧にしているこの国は、原発責任も曖昧にしたまま、これからの世代に放射能の脅威を押し付けるのか。原発責任を曖昧にしたままでは、この国は永遠に復興しない。まさにその通りだと思う。


祖父が広島の公立中学に入学したのは一九五九年、六〇年安保の前年で、学校に「道徳」の時間が特設された年であった。
 「日の丸」「君が代」そして天皇。戦争責任を曖昧にした無責任国家が「道徳」を持ち出したが、それは、社会のある種の乱れを憂える「国民」の声を利用するものでもあった。文科省の言うもの以外は全て偏回教育。教育の中立とはつまり時の政権に忠実であるということ。原爆を投下された広島で、それ故のことだったのか、「平和」という言葉さえ使うのに勇気のいる始末で、政治権力はまことに荒々しく教育内容に踏み込み続けた。子どもたちの能力は体制内的であればよく、批判精神は不要。子どもの未来も日本の未来も考えない一方的な圧力の下で、自律的な力をもった教師は徐々に排除されつつあったという。
 社会の根底に無責任があることを、当時の子どもたちは感じ取っていたと思う。「荒れ」を抑え込まれるとやがて「登校拒否」「いじめ」等、現象の有り様をより深刻にしながら、むしろ鋭敏な部分が社会の根源的な暗さを反映して、その道をたどりたどされていった。自殺が増えたのもこの時代であった。
 全国の教師たちの今が、子どもたちがどうしているのかが案じられる。特に東京や大阪の先生たちの苦労がしのばれる。「戦争は人間の仕業である。神の仕業ではない」前ローマ法王の言葉で長崎カトリック信者の多くは一夜にして「祈り」から「闘い」に立ち上がったと思う。その言葉にならえば、「原発事故は人間の仕業である。自然災害ではない」となるだろう。
 原発政策を取り込んで「核アレルギー」を封じ込めようと率先したという二人の名前ははっきりしている。責任政党は自民党であったはず。電力会社関係者もいわゆる「御用学者」もそのままで寿命を全うするのだろうか。そうさせない国民の生き方が、今度は生まれてくるに違いない、あまりに酷な被害の中で、それだからこそ「国の新たな地平」が切り開かれるのではないかと期待した。いや今ももちろん期待している。しかし、今後も相変わらず多くのことが隠され、論理がすり替えられ、人々の記憶の徐々に薄らぐのを待つというような、国民を操作対象としか見ない有り様に怒りを禁じ得ない。
 それにしてもいつから私たちはこのように飼い慣らさせれのか。自分の首を絞める相手の笑顔をうっとりと見つめるような愚人の形象が魯迅にも小田実にもあったように思う。そのような日本人ではないはずだろうと想いながらも、未来の世代に心の底からの笑顔を向けられない。

 

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