抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

より良い社会環境を築きあげたい

 

私も、高校時代、向学心と受験勉強の矛盾、画一的で味気ない一斉教育に不満と怒りを覚えた生徒の1人であったが、この問題に回答を与えてくれる教師には出会わなかった、そして学校を辞めて編入した。また後になって、日本の社会における職場と教育機関の断絶にも深い疑問を抱いたが、それは日本では自明のことであって、職場には知性が、学校や大学には社会性が欠けていても、「それが世の中」なのであった。

 日本人は一般に、問題の解決のために戦うよりも、問題を隠蔽したり、不合理を受け入れることに、欧米人の想像を絶する忍耐力を示す特性があり、このメンタリティーが、日本における民主主義的で創造的な教育の発達を妨げてきたと思う。

 私は教育大国ドイツで学ぶ学友たちから現地での話を聞くたびに、日本人たちが戦後、家庭を犠牲にしてまで築いた経済力が、日本の教育の充実に寄与しなかった現実を苦痛と共に噛み締めている。日本とドイツ、二つの「敗戦国」のこの差が何から生じたのか、日本人一人ひとりがいま本気で考えてみなければならないと思う。ドイツの教育の現状を少しお伝えしたい。

 ドイツで教育の対象となるのは、子どもだけでも、ドイツ人だけでもない。周知の如く、国公立の学校、大学の授業料は外国人留学生も含めて基本的にはかからない。各地方自治体やキリスト教会が、成人にも充実した市民大学のプログラムをわずかな授業料で提供しているし、学校や幼稚園は、各方面の専門家を招いて、父母たちに講演会や教育相談の機会を積極的に提供している。

 また、ドイツの学校の教育養成には国の負担で相当の時間と費用がかけられる。その結果、各教師が現場で取れるイニシアチブも日本に比してはるかに大きい。日本では、学校に子どもの教育の責任が全面的に課される傾向があるが、ドイツでは、家庭教育はもとより、学校・教会・地元スポーツクラブ等が、知的教育、社会・道徳教育、音楽を楽しむ機会やスポーツ等を分担している。

 教会やスポーツクラブでの指導には、意欲と能力のある父母たちが、仕事の後の時間や休日を利用して協力するが、父母たちにとっても、様々な子どもたちと接することはとても良い経験となる。

 だから話は少し飛躍するかもしれないが、より良い社会環境の設備のためにも、日本企業に深く根を下ろしている「残業の美徳」が消えることは望ましいと思う。

 

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