抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

性に関する理解

11月に二日間に渡り東京大学にて国際開発学会が開催された。本学会は、様々な分野から開発を考えアプローチするために、毎年春と秋に識者らを中心に研究発表や報告会が行われる。二日目の午前には女性に関するセクションが開催された。そこでは4名の女性研究員が女性の「月経」に関して開発学的な視点からそれぞれの研究の報告会を行った。3人目の発表の時だった。発表者が私の席を見つめ「このジャンダーバランスの中、出席していただいたあなたに深く敬意を表します」と深く頭を下げた。私はその状況が読めず一瞬唖然としたが、あたりを見渡すと、20名ほどいた参加者の中で男性は私一人であるということに気がついた。
 女性が経験する月経は、生理的現象でもあると同時に、社会文化的現象でもある。発表者の一人は、カンボジア農村部において月経に対する意識の変容を研究していた。カンボジアの農村部では、月経は羞恥心を伴うものであり、公には秘匿すべきものであり、かつ「女性」の問題となっている。さらには、公の場で学生に教える立場にある教員でさえ恥ずかしさから月経の授業中、月経やその仕組みについて口にするのを憚ると警鐘を鳴らした。 
 発表者が行ったインタビュー調査では、多くの住民が学校で性教育を行うことに退嬰的であったという。そうした通底する価値観に対し開発を行う側は一石を投じる姿勢であるという。翻って日本はどうか。男尊女卑と揶揄される日本は、女性の姓の事情に対して、一体どれほどの理解を示しているのであろうか。
 本学会では、政策を考える立場にある研究者や開発職員、大学教授や高等教育を受けた博士課程の大学院生が参加者全体の大多数を占めている。そこで行われた月経に関する発表に彼らが何ら興味を示さないのは危機的だと思う。途上国に対してきちんとした啓発活動を行うためには、まずは我々が正しい理解を示さなければならないのだが、非常に多くの疑問を残した。

 

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