抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

戦争体験者の責任を問う

 

 団塊の世代というのは、親あるいは身近な知人に戦争体験者がおり、日常的に戦争の悲惨さを聞くことのできた世代である。私の祖父母も朝鮮戦争を経験し、それを機に日本へ避難した経験を持つ。日本国憲法9条の存続の是非が日本で問われた去年も、祖父母は会うたびに「戦争は二度としてはいけない」と口癖のように言っていた。世界観も人生観も異なる私と祖父母だが、戦争を二度としてはいけないという点では完全に一致してきた。

 こうした直接の戦争体験者が、現役から退き、あるいは亡くなっていくなかで、戦争体験の風化が起きるのはある意味必然である。日本は戦後75年、一切戦争に関わらなかったかといえば、そんなこともない。祖父母が経験した朝鮮戦争からベトナム戦争、そしてイラク戦争と仮に間接的とはいえ日本も戦争に関わってきた。特にベトナム戦争は、日本に米軍基地がなければ、戦争遂行が困難と言われるほど日本の役割は大きかった。ところが、ベトナム戦争終結したあと、戦争と平和をめぐる国民的な関心は、大きく衰退していったように思える。なぜだろうか。実はそこにこそ団塊の世代の責任があるのではあるのではないか。

 つまり、団塊の世代の次の世代に当たるバブル世代や断層の世代に戦争と平和の問題について、語ってきたかということである。確かに、私の祖父母世代のように、実感を持って戦争を語ることは難しいし、我々の両親やその次の世代は戦争を追体験することはできない。しかし、これには我々の両親の世代が、直接聞いたその話を、どう自分自身の問題として教訓化できたのかという問題である。

 私は両親から祖父母の戦争体験を聞いた記憶がない。友人の両親や両親の世代の教員や同僚にも戦争の話は聞かずに育った。バブル世代や断層の世代と言われる層は、自身の娘に対して遠慮しているのか、最初から解らないと言って諦めているのか、いずれにせよ戦争と平和の問題が、ほとんど語られていないのは、間違いないようである。

 我々の両親、いわゆるバブル世代や断層の世代には、まだ戦後民主主義の輝きがあったように思う。授業中にも教師が自らの戦争体験を語っていたと聞いたことがある。そんななかで、その後60年から70年にかけての学生運動ベトナム反戦運動が生まれてきた。しかし、今や学校教育においてそうした成果を期待するのは、ほぼ不可能である。当然だろう。教育行政が様変わりしてきたこともあるが、戦争世代の体験を直接語り継ぐべき団塊の世代が、我が子にすらまともに対話をしてこなかったのだから、ましてはその孫の我々世代に伝わるはずがない。

 では職場ではどうだろうか。これもますます期待などできない。労働組合が形は残っているものの、組織率も大きく低下し、本来の機能をほとんど果たせなくなっている。若者の権利や人権の教育の場でもあった組合がこうなのだから、若者はいったいどこで権利、人権教育を実践的に受けることができよう。

 こうした状況を作ったのはいったい誰か。政府や文部科学省の責任を追及するのも大事だ。しかし同時に団塊の世代自らが、いったいこの75年間何をしてきたのかをもう一度自省してみなければならないのではないか。憲法改正派が国会で多数を占めるなど考えもしなかった。第二次大戦を公然と擁護する官僚が出てくるなど夢にも思わなかった。しかし現実は重い。もう逃げることなどできない地点に来ていることを自覚し、われわれに何ができるのか、何をしなければならないのかを考えるべきではないか。

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