抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

日本政府の視野狭窄によって無視されてきた地域の歴史

 

 本土に居ると、「きれいなサンゴ礁」「美ら海水族館」という彼らにとって都合のいい煌びやかな沖縄県だけが切り取られ、負の歴史を受け付けない無言の圧力に息が苦しくなる。

 お酒の席のことであった。ある教員が居酒屋に備え付けてあったテレビが流すニュースを見て呟いた。「沖縄って駄々っ子みたいだよね」。参加していた学生は、それに同調するわけでもなく、反発するわけでもなく、「難しい話はよくわかりません」というリアクションだった。気づくと、「それはどういう意味ですか?」と聞いていた。教員は、「厄介な議論に巻き込まれた」という顔をした。「空気を読まない」私は教員の発言が許せず対峙した。彼女の言い分は次の通りであった。

 沖縄県は中央政府の方針にいつも反発している。沖縄県では基地の前に座り込んで「ゆすり」に等しい行為で生計を立てている人もいるし、貧困率や離婚率も高い。まるで「危ない国」と同じで、到底人々の支持を得られるものではない。最後に彼女は「きちんと都会で働こうと頑張っている人もいるから一概には言えないが」、とフォローを入れて帰宅した。私は議論の途中から理性を保つことで精一杯だったが、彼女の発言を矯正せねば歴史を愚弄した教員の顔がぼやけてしまうと感じた。帰りがけに、留学生に声をかけられ喫茶店に移動し、「ああいう人と真正面から議論しないほうがいい」と丁寧なアドバイスを受けた。

 翌日、その教員と鉢合わせをした。「昨日の発言は重く受け止めないでください。私も沖縄のことは実のところよくわかっていないんです」と口を開いて過ぎ去った。

 日本全体を覆う無関心の空気、自分が当事者にならなければ、どんな非道で不誠実なことが行われていても気にせず「楽しく」生きていける鈍化した感性の正体が、少しだけわかった気がした。

 東京は名実とともに日本の中心である。大消費地と呼ばれ経済を動かす大きな力を持つ彼らが少数派に対して何らの関心も持たないのは危機的だと思う。アメリカでトランプ政権が誕生し、「それより前からアメリカ・ファーストだった」というギャグが一時期もてはやされたが、アメリカに追従してばかりの日本政府の視野狭窄によって無視されてきた歴史は、暗く悲しい。

 

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