抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

教育から自由を奪うもの

 

 2018年、文科省は、2022年度からの高校「公共」「地理総合」の新学習指導要領で、尖閣諸島北方領土竹島などが「我が国の固有の領土」であると明記するように指示した。つまり、これらの領土問題は、議論の余地を残さず生徒たちに伝達することが求められることになったということだ。

 一方で文科省は、従来の暗記、詰め込み型教育を否定し、「探求学習」「アクティブ・ラーニング」、すなわち生徒たちが自ら興味課題を見つけ、それらを追求するような学習に転換することを掲げている。そうであるなら、領土問題も当然生徒たちの探究対象となるはずだ。

 外務省の英語サイトによると、これらの島は「歴史的事実に照らしても国際法から見ても日本固有の領土」であるらしい。しかし、特に尖閣諸島竹島について、固有の領土と断ずる根拠はどこにあるのだろうか。

 外務省は、「固有」をinherentと訳していた。この言葉には、本来のものであり動かすことができないといったニュアンスがある。すなわち、これらが領土であることは、生徒にとって自白であり、追求し検証するような課題ではないということだ。

 米国さえも日本の尖閣諸島の領有権を明確に認めておらず、竹島の日本の領有権が国際的に承認された事実もない。日本、韓国、中国、台湾がそれぞれ歴史的、現実的根拠をもとに領有権を主張しており、各島の歴史的経緯についても諸説ある。

 そうした中で、あたかも普遍的な物理法則であるように、尖閣諸島竹島を日本固有の領土だと教えようというのは、生徒だけではなく教師からも考える自由を奪うものだ。戦前の統制国家を彷彿とさせる。

 私自身、ある事件を評価するには、資料の収集、分析、聞き取り、史料批判などの手続きが重要だと考えているし、エビデンスに基づいた判断をしない日本人固有の意思決定には懐疑的である。

 文科省の指示は、実証的科学アプローチを伴う自由な議論を、政治的利益のために奪うものだと思えてならない。