抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

紙飛行機

 

 たしかに、日本は少子高齢化する人類社会の先端をひた走ってきた。ほとんど孤独のトップランナーだったと言っていい。これまでのところは。

 しかし、世界人口統計を読んで驚いた。日本は、東アジアでは出生率が最も高くなっていた。我々の少子化へ走る速度が緩んだのではない。東アジアの後続集団の速度が劇的に上がったのだ。韓国は既に人口減少に転じ、そして世界最大の人口を持つ中国も、まもなく人口減少に転じる。

 現代の「人口減少クラブ」には東アジアの国々ばかりが参加しているように見えるが、ヨーロッパやラテン・アメリカ、やがてはアフリカや中東の一部地域を除いた地域のほぼ全域が、このクラブのメンバーに登録されることになろう。

 これは人類が多産多死から少産少死への歴史的な転換のプロセスを終えつつあることを意味する。新型コロナによるパンデミックは、この流れを加速させた。もはやこのマクロな人口転換の流れを逆転させうるとは、想定できないのではないか。

 少子化対策への取り組みが意味のないものだと主張したいわけではない。施策によっては一定の成果も見込まれよう。そもそも、産み育てたいカップルと生まれる子どもたちのための環境を設備していくことは政府の責務である。一方で、「産めよ殖せよ」も、過激な人口制限を構想するエコファシズムも、避けなければならない。全ての社会課題がそうだが、特に人口という問題を考えるときには、基本的人権の保障という軸を失ってはならないと痛感している。

 20世紀の人口爆発から人口爆縮に向かう折れ線は、あたかも紙飛行機が、急に昇ったと思ったら失速して墜ちていく様に似ていなくもない。現在の経済システムの見直しも避けられまい。問題はそれを自覚的に進めるか、現実に迫られてから泥縄式の対処を余儀なくされるか、である。人類は定常社会という安定飛行への移行を実現できるだろうか。

 コロナ禍によってさまざまな交流が遮断されたが、私自身が最もつらく思ったのは、定期的に開催していた友人たちとの読書会に重大な制約がかかったことである。本質的に読書は孤独な営みだが、だからこそ、同じテキストを共有した友人との語り合いに喜びを覚えるのである。それは、民主主義というものの核心にふれる営みでもあると、直感的にだが、思う。

 繰り返しになるが、一人一人が大変な状況におちいっている今日、これまで以上に他者理解が求められているように思う。

 

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