抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

酷使される無償ボランティア

 

2019年1月4日早朝、最寄りの駅から大きな駅へと向かう。昨日も同じ電車に乗ったが、今日は昨日に比べて乗車率が高い。通勤に向かう社会人と学校名が刺繍されたジャージを着た高校生。年末の休暇が終わりを告げ、みな、少しずつ日常に戻りつつある。来年は2020年。刻一刻と東京五輪が我々の自由を侵食しつつ迫ってきている。

 

2020年のオリンピックは東京で開催されることが決まった。嬉しい話に聞こえるが問題が山積みになっている。本稿では山積みになっている問題の中でも特に深刻な「無償ボランティア」を取り上げ、国ぐるみでひた隠しにする政府の狙いと、その構造について纏める。

 

東京五輪のボランティア問題を論じる前に、「ボランティアは無給で行うもの」だという誤った誤解を解いておきたい。実は、ボランティアには無償という意味はない。ボランティアには概ね「無償性」「非営利性」「公益性」といった3つの原則がある。順に解説していく。

 

https://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/12/dl/s1203-5e_0001.pdf

 

厚生労働省の「ボランティアについて」の報告書では、ボランティアについては明確な定義がないことを言及しつつ、一般的には「自発的な意思に基づき他人や社会に貢献する行為」であると述べられている。日本人の脳に植え付けられたボランティア=無償という認識は誤りであり、無償で行う意義はないのだ。日本人とボランティアについての話をする時、そこに無給という前提があるが、話の相手が留学生の時、そこに無給という前提はない。筆者が生まれて間もなく起きた阪神淡路大震災の際、全国の行政機関がボランティアを無報酬の労働者として積極的に活用した事は記憶に新しい。それ以降、予算のない行政のお手伝いとして本来なら無償でやらせるべきではない仕事でさえ当然のように無償で働かせ、我々の認識の深部にまで「ボランティアは無償のもの」だという誤った固定概念を植え付けた行政の責任は重い。

 

ボランティアの原則の一つである「非営利性」。一言で言えば、ボランティアの対象が営利を目的としていないことである。この点でボランティアとNPOは異なる。最後の「公益性」とは、ボランティアの活動がなんらかの公益に資することである。この3つの要件をみたしている場合、それはボランティアとなる。では今回の東京五輪のボランティアはどうか。

 

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日経新聞が「五輪の協賛金が右肩上がり」だという記事を以前に書いた。グラフからは、ボランティアの要件の一つである「非営利」が近年の五輪とは対極になってきていることがみてとれる。現在の五輪は巨額の放送権とスポンサー企業からの協賛金で運営されているのだ。オリンピックという舞台は、有名選手を集めて競わせ、利益を追求する商業イベントである。当然、運営のためには給与を支払うアルバイトを雇うべきであり、雇用関係を結ぶ必要がある。つまり五輪は非営利ではないのである。

 

現在ではすでに50社以上のスポンサーが名乗りを上げ、4000億円もの協賛金が集まっている。にも関わらず会場で競技を見るためには有料でチケットを買わなければならない。するとまた興行主に巨額の利益が入る。なのになぜボランティアには無償を求めるのか。明らかにおかしい。

 

公益性についても触れたい。前回開催された東京五輪では、その開催に向けて社会的インフラが設備された。その後、日本は瞬く間に経済成長の階段を駆け上がり、日本全国で大きな恩恵をもたらした。しかし今回の東京五輪はどうか。一部のスポンサーと建設業、JOCのみに恩恵が集中する。そこに公益性はない。したがって公益性という点でも極めて怪しい。

 

このようにボランティアの原則を無視する組織委がボランティアの主力として目をつけたのが大学生である。五輪という「商業イベント」においては大学生が一番騙しやすく、組織委にとっては使える人材なのだ。彼らがボランティアに参加しやすいよう、なんと文科省は全国の大学に通知を出したのである。その通知文章には「学生にボランティアの参加を促す」という表記がある。本来ボランティアは自主的参加が大原則であり、参加を促すことなど、その原則を破ることにほかならない。なおすでに首都大学東京明治大学国士舘大学などはオリンピック期間中は授業を行わない方針を表明し、ボランティア参加者には単位認定をする旨を発表している。なんとも情けないことだが、大学側にとって文科省からの通知は無視できないのである。それはもちろん文科省もわかっている。

 

実は、前回の東京五輪でも文科省は国立大学や高専に文章を出していた。その内容は「学校教育に支障がないようにオリンピック開催中の全期間を休業日とする」といったもので、今回の「ボランティア参加を促すための休業」とは毛色がまるで異なる。また、組織委は学生と並立して社会人までもボランティアの参加を期待している。しかし連続五日以上、合計十日以上という参加資格は社会人にとってはあまりにも高く、結局は学生が主体になってその餌食になることは火を見るより明らかである。

 

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ここまでしてなぜ組織委は「無償ボランティア」にこだわるのか。それは、ボランティアに支払うべき原資を節約し、組織委や電通の取り分を増やそうとしていること、アルバイトではなくボランティアであれば雇用契約が発生せず、万が一の事故(炎天下の中で1日8時間も働かされれば、熱中症で倒れる者が続出することは容易に想像できる)の際にも責任を負わずにすむということだ。こんな茶番な東京五輪の問題を一向にメディアが取り上げないのは、朝日も毎日も読売も日経も産経も全国紙全紙が揃って東京五輪のスポンサーに収まっているからだ。これでは東京五輪に対し批判的な報道などできるわけもない。さらにこれらの新聞社とクロスオーナーシップで結ばれている民放キー局も同様にこの問題を報道しない(出来ないと言った方が正しいだろうか)。報道機関が五輪のスポンサーになったなどという大会は過去にあっただろうか。私の知る限りない。

 

五輪のスポンサーになっている朝日新聞は「東京五輪物語」、読売は「金の系譜」といった連載を通して五輪のイメージアップに余念がなく、2019年1月6日(筆者が本稿を書いているのが4日)にはNHKが「いだてん、東京オリンピック噺」と題した大河ドラマを放送する。また、ワイドショーなどでは各地で活躍しているボランティアのインタビューなどを放映し「東京大会もボランティアで成功させよう」という空気を作り出している。このような番組は2019年にますます増加するだろう。


東京五輪が開催されるのは7月から8月である。酷暑を懸念した声が多く、ついに暑さの影響が最も懸念されるマラソンのスタート時間を早朝5時〜5時半に前倒しすることを組織委は検討しているらしい。これまで組織委は暑さの対策に具体的な解決策を発表せず、僅かに小池知事が、首に濡れタオルを巻いて、などと小手先の発言で失笑を買った程度だったが、それはどのような手段を持ってしても、東京の酷暑をなくすことはできないからだ。そのことを組織委側も十分に理解しており、何を発表してもどうせ叩かれるだけなので、とにかく残暑開催批判には触れないことにしている。具体的な対策はギリギリになってから発表され「足りなくてもこれで頑張るしかない」という報道になるだろう。もちろん、東京の夏が暑いことなど前からわかっていたことだ。それでも経済的利益獲得を最優先に、招致ファイルに「7月の東京は温暖な気候」などと曖昧な言葉で嘘を並べて招致したのだから、極めて悪質である。


そしてこの残暑は、組織委が無償ボランティアにこだわる姿勢をより強固にした。賃金を払うアルバイトにしてしまうと雇用責任が発生するため、酷暑でもし死亡事故があれば組織委がその責任を負わなければならない。そうならないためにアルバイトではなくボランティアにし、何があっても自己責任という対応で済むようにしたのだ。つまり、組織委が法的責任を負わずに酷暑で働くせるのは、絶対にボランティアでなければならないのだ。


では、あらゆる年代の人々をボランティアに駆り出し、さらにはサマータイム導入まで主張した組織委と電通、そしてそれを後押しする国の狙いはどこにあるのか。それは、組織委のボランティア募集のHPのボランティア関連情報を見れば明らかになる。

 

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つまりは、組織委と電通は、東京五輪後も様々なイベントを全て無償のボランティアでやりたいのだ。そのために11万人もの人々を集めることによって、それを巧みに「五輪の遺産」などと言い換え、「東京五輪も無償のボランティアでやったのだから、それ以降の大型イベントも全て無償ボランティアで成功させよう。それが東京五輪のレガシーを受け継ぐことだ」などと言い換えていくのだろう。そんな彼らの狙いが透けて見える。もちろん、それらの広告宣伝領域も全て電通の一社独占事業だから、それらのイベントにボランティア参加するということは、電通という私企業に自らの時間と労力を貢ぐということに他ならない。

 

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組織委のHPのページには「Share Your Light(あなたは、きっと、誰かの光だ)」と聖火リレーのコンセプトが書かれている。そして大会のビジョンの一つに「そして、未来につなげよう」のコンセプトの言葉がある。その「光」が酷暑の中で長時間の無償労働を強いられ、「未来につなげる」ものが「無償ボランティア」であるとしたら、それはなんとも皮肉な話である


年明けまもない今日、駅は多くの人たちでごった返し、みな、異なる目的地へと歩いている。この中の何人の人が東京五輪の被害者になるのだろうか。東京五輪が厄災を撒き散らしながら刻一刻と近づいている。