抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

多様化すべき学びの場

 高校生が学ぶ場は今よりも多様化され、高校進学時においても複数の選択肢を持つべきだと考える。例えば、定時制高校や通信制高校などは、たくさんの問題を抱えながら学びの場としてあるべき姿を示唆しており、それはまた全日制高校ひいては日本全体の進学準備体制の根本からの転換を呼びかけていると思う。ここでは二つだけ指摘しておきたい。

 一つは、様々な生徒がいるということ。私は全日制の高校を一年で離れ、通信制高校編入した。初めてのクラスは外国籍の生徒が多かった。東南アジア出身の四〇代の女性、ラテンアメリカからきた二〇歳前の女性、日本で生まれて中学まではアメリカで育った混血の男子生徒。そして、内臓疾患をいくつも持っていて、「私、こんなに病気があるんだ」と明るく自慢げに語る女子生徒。子どもを学校に連れてきた女性や、いじめから回避する目的で通信制に移った男の子もいた。沖縄で子ども時代を過ごしてろくに学校に通えなかった六〇代半の女性は、通信制で学位を取得したあと、その後一般入試を受けて大学に進学した。

 前年の単位取得がうまくいかずに留年した男子生徒はよく授業中茶々を入れてくれた。授業中化粧に余念のない女性生徒は、授業にはよく耳を傾けて「先生その説明じゃ、あの子にはわからないよ」といってラテンアメリカから来た女子生徒に説明してくれることがあった。家庭の経済悪化から転校・入学してくる生徒が増えていた。このようにさまざまな生徒が一つの場を共有することが、生徒同士の、生徒と教師との間の壁を揺さぶり崩していたと思う。

 二つ目は、縛られない教えと学びがあったこと。幸いにも、いや皮肉にも通信制高校の授業内容や方法に教育委員会や校長、教頭がうるさく注文をつけ監督することはほとんどなかった。進学や就職準備のための学習指導を念頭に置くことはないといってもいい。科学への興味を引き出そうと「今日は豆腐アイスクリームを作るぞ」と豆腐を買いに出かける理科の教師の目は生徒以上に輝いていた。高校を卒業したら絶対に読むことはないといって、私は多くの本を先生から教えられて読んだものだ。その中には鴎外の「舞姫」もあった。明治の官僚社会に自由な生を打ちひしがれ、恋人に狂気に陥れることになる主人公を許せないと正義感豊かに感想を漏らす生徒が溢れた。

 種々の障害・問題を背負わせれた人々が、明るい太陽のもとでこのような学びの場を持つことができるように社会全体が教育について考え方を変えていけば、大方の社会的な問題に明るい兆しが見えてくるだろう。全日制に入学するか否か、続けるか退学するかの二極ではなく、第三の選択肢として定時制通信制高校が果たす役割に期待を寄せたい。

 

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