抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

私はヌジューム、10歳で離婚した

2019年3月16〜5月上旬、児童婚をテーマにした映画「私はヌジューム、10歳で離婚した」が東京・名古屋・兵庫で上映された。物語は中東のイエメン、10歳の少女ヌジュームは1人で裁判所に駆け込み、離婚をしたいと訴える。この作品は、2008年にイエメンで実際に起きた話がモデルとなっている。「児童婚は祝福のもとで行われるレイプである」、映画の監督であり、自身も児童婚を経験したアル=サラーミー氏はそう訴えた。

 2019年UNICEFの報告によると、世界中の若い女性のうち、21%の女性は児童婚を経験している。世界では6億5000万人もの現存する女性が18歳未満で結婚をし、1200万人もの女性が毎年児童婚を強いられている。これは驚くべき数字であろうか。それとも、事態を知る者にとっては驚くに値しないのであろうか。未だ多くの児童婚が水面下で行われている現状に鑑みると、「実際はそれ以上」とする声も多い。多少なりとも児童婚の問題に足を踏み入れた立場からしてみれば、どちらの数字が正しいとか、間違っているということではないと思う。この数字は仮に1人であったとしても、あってはならない数字なのである。

 修論のために訪れたバングラデシュ。現地調査3日目、この数字を中学生に見せる機会があった。女子生徒の1人が「私は結婚相手を自分で決めたいな」と力なく言い、一瞬学生間で笑いが漏れたが、その刹那そこにいたみんなが真顔になった。

 トルコに移住するシリア難民や、迫害されバングラデシュで生活を送るロヒンギャ の人々の間で、いま、児童婚の発生率が顕著に増加してきている。個々の、凄絶としか言いようのない体験を相対化することはできないし、安易な類似化はまた別の危険性を孕むだろう。しかし、児童婚を強いられる女性たちの不安は既に臨界点に達している。

 レミングの群れが断崖もしくは湖水などに突き進んで自殺するということは迷信に過ぎないが、不合理性ゆえに嘆く自分の姿が目に見えていたとしても、方向転換が許されず、あたかも慣性の法則に支配されているかのように粛々と絶望に向かって進行していく女性たちの悲劇を、この国は「慣習」の一言で覆い隠してきた。批判や警告、別の選択肢を示す声が存在してこなかったわけではない。児童婚の根絶を訴える民意の声は、慣習の一言によって尽く壊死させられてきたのである。

 いま、バングラデシュでは燎原の火の如く多様性が浸透しつつある。それは国際化であり、テクノロジーの進化であり、また、人と人との繋がりでもある。これまで空気のように当たり前に与えられてきた「児童婚」という選択肢は、その濃度を軽薄化しつつある。そのことを象徴するかのように、それぞれの家庭が少しずつ娘に児童婚をさせることに躊躇いを抱きはじめている。だが、時に娘の児童婚なくして、家族は生活を送れなくなってしまう。自分と血の繋がった娘のことを思えば、愛情もあるし、かといって永劫この生活はきついと考え、その薄情な感情を持つ自身に苛立って毎日を過ごしている。

 要するに、両親は皆、外野から指摘されるよりもずっと前に、娘に児童婚をさせることに罪悪感を抱いているのだ。だからこそ、あらゆる解決策を考えては娘に教育を続けてほしいと切望している。児童婚が未だに残存する今日においても、メディアでの扱いがそれを感じさせないのは、当事者の家庭がそもそも複雑だからである。児童婚は人権侵害である、という声の前提にもし(バングラデシュなら仕方がない)という括弧がつくとしたら、今後も相変わらず多くのことが隠され、論理がすり替えられ、視野広い議論に繋がることはないだろう。

 児童婚が「名誉」だという位置付けの真偽については読者の判断に委ねさせていただくが、人の人生の価値は、生まれ落ちた地や性別によって截然と決められるべきではないということを今後もこのブログを通して繰り返し主張していきたい。

 

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