抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

学校教育の意義

 ちょうど去年の今頃、自分は全く就活をせずにバングラデシュの家計調査を用いて計量分析をしていました。とはいえ、全く就活をしていなかったかというと語弊があって、SPIを受けて、通って、でも面接には行かなかったり、あるいは面接にジーパンと半袖でいって人事に怒られたり、あげく、民間企業には来ない方が良いと言われ、自分もそう思っていました。ですので、すぐに私は就活をやめて、友人に変わって友人の就活関連のテストを受けるということをしていました。テストを受けること自体は好きでした。
 一方で、研究が上手くいっていたのかというと、そうでもなくて、指導教官の先生からは「そんなことも知らないんですか」と詰められ、朝になるまで研究室で血眼になりながらパソコンに向かい合っていました。それでも指導教官の先生は熱心な方で、毎週少なくとも1日は18:00くらいから終電まで自分一人のために時間を割いてくださり、親身に計量分析と私の研究について指導してくださりました。ただ、内容は非常に厳しかったため、毎週先生は、「もうメンタルがやられてAくんは来ないかと思っていました」とおっしゃっていました。私は「メンタルの弱い学生だとパワハラと受け止められるかもしれませんが、私にはあと10倍くらい詰めてもらって大丈夫です。」と返していました。ちょうど去年の今頃の話です。今は幸運なことにも仕事で全く同じ家計調査をしていて、当然、技術的なところで周囲に助言を求めることができないため、あの時、正直結構辛かったですが、指導教官の先生に夜通し詰められてよかったなあと思うわけです。
 私は、学校教育の価値とは教員と学生とコミュニケーションの質に依存すると感じています。「大学は放送大学で間に合う」と言っている人がいますが、大部分の学生は自分がわかっていないことが理解てきていないということがよくあります。キーワードと例題の暗記が理解の全てという学生がものすごく多くて、わからないことがあればすぐに「オススメの参考書はありませんか?」と聞いてくる。こうした学生を指摘して矯正するのが、先生の仕事であり、学校の存在意義だと思います。
 オンライン授業というのは、横文字で響きこそ綺麗ですが、果たして学生の能力が向上するかどうかは、いささか懐疑的であります。
 
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