抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

院生からの警告

 

厳しい暑さが続く9月、この時期は大半の大学院で入学試験が実施されています。学部を卒業して直接大学院に進学される方や、一度社会人を経験した後に大学院に入学される方、いろいろな方がこの時期入学試験を受験します。大学院という場をどう捉えるかは人により異なります。学び直しの場と考えている方もいれば、勉強の場ではなく研究の場だと考えている方もいらっしゃいます。どれも間違いではないと思います。大学院という場は、異なる需要に応えるべき場だと私は考えています。大学院をどう利用するかはその人次第です。しかしながら、安易な気持ちでに入学してしまうと人生を破綻に陥らせる危険性を持つ場でもあります。そうした側面は事前に知っておいて損はないと思いますので、この場を借りて大学院入学という決断に警鐘を鳴らせればと考えています。

 21世紀、高度な技術と知識が要求される時代、特に日本のような社会では、大学教育の4年間だけで、グローバル社会で対応しうるような知識や技術の習得はほとんど不可能だと思います。特に工学部系の大学では、修士課程をでないと、産業社会の中で使い物になる知識や技術を習得するのが難しいというのが1980年代以降の常識となっています。就職に強い大学ランキングがちょうど先ほど東洋経済から報告されましたが、2年連続でトップだったのが東京工業大学でした。ご存知の方も多いと思いますが、東京工業大学は学部と大学院を合わせた6年一貫教育を実施している理系の大学です。大阪大学の工学部では修士と学部の定員数は若干学部が多い程度となっています。従って理系の分野では、修士課程を修学することが当然のことと捉えられるようになってきたと言っても過言ではないでしょう。

 他方、文系の大学院の内実はどうなっているのでしょうか。未だ、文系で大学院は珍しいと考えている方が多いというのが私の体感です。理系はどちらかというと知識の涵養というよりは、技術の習得という場として機能しているような気がします。文系は技術の取得というよりは、知識をどれだけ増やせるのかが問われている場であり、そのような知識は大学4年間で十分ではないかというのが一般の共通認識になっているのではないでしょうか。しかしながら、学問を修めるというのはどの分野においても大学を卒業したくらいでは到底不可能だと思います。更に、分野にもよりますが、大学院からでしか学べない分野もあります。そうしたニッチな需要に応えることができるのも大学院の魅力だと考えています。

 予めお断りしておきますが、私は社会科学の分野に身を置く立場なので、理系の世界に通暁しているわけではありません。本稿では、文系の大学院という前提で話を進めていきます。

 まず始めに、誰しも嫌気が差すほど言われることだと思いますが、英語が理解できていないと話になりません。なぜ英語ができないと話にならないかと言いますと、日本語の情報量が少な過ぎるからです。日本人が先陣を切って行なっている研究なんて全体の一部に過ぎません。大半の研究は日本人ではない他国の誰かが行なっているものです。そういった研究を知ることは大学院生にとって非常に重要なことです。断言しますが、英語が理解できなければ大学院への進学は諦めた方がいいと思います。ではどれくらいの英語力が必要なのでしょうか。数値化することは難しいです。英語で書かれた論文をストレスなく読めるレベルでしょうか。英文を読んでストレスを感じるレベルであれば、大学院の期間に読む文献の量も少なくなります。ですので、一つの指標としては英語で書かれた論文を無理なく読めるレベルと言えます。ただ実際には、英語が読めない院生は非常に多いです。彼らがどう研究をしているのかが不思議でなりません。

 発表を嫌う人も大学院には来ない方がいいと思います。大学院に入ると研究の報告会や学会があります。よく「まだ発表できるレベルにない」と発表を拒む人がいますが、ではいつになったら発表ができるようになるのか疑問です。発表ができるレベルにないということは、別言すると、今まで研究が進んでいないということです。完成された研究を発表することは修士課程の学生には非常にハードルが高いです。研究というのは発表の場を通じて質を高めていくものです。大学院生にもなって発表を拒むのは正直話にならないレベルです。いつでも発表ができる準備と姿勢が求められているというか、最低限備えておくべきことだと思います。

 入学後すぐに就活を始める院生がいます。冒頭で述べたように大学院という機関をどう利用するかはその方次第です。しかしながら学部卒と修士卒の違いで就活において有利になるのはごく一部の分野で、大半の場合むしろ不利になります。大学院では学部以上の知識の涵養とスキルを習得できる場であることは間違いありませんが、就活がメインになってしまうと、そうした知識や技術を習得しないまま卒業することになってしまいます。現にそのような大学院生は多いと思います。個人的にはそうした姿勢が大学院生が足元を見られる理由になっている気がします。なんの科学的根拠もないですが、8割ほどの院生は学部卒の知識・技術レベルで卒業していきます。

 何かわからないことがあれば途端に「オススメの参考書はありませんか?」と聞いてくる高校生のように、すぐに答えを求めてくる大学院生がいます。答えはもちろん重要なのですが、その答えを導き出す方法や答えに辿り着くまでの過程が大事なのです。すぐに答えを求めてくる方は大学院では非常に苦労しますし、結局うわべだけ理解したつもりになって卒業します。このような方には大学院はあまりおすすめできません。

 勉強が好きな人ではないと大学院生活は厳しいものとなります。大学院に入ると、学部とは異なり、特に一人で黙々と勉強をしなければならなくなります。そうした一人の時間のうち、どれくらいの時間を勉強に費やすことができるのかは、その人がどれだけ純粋に勉強が好きなのかに依存します。勉強が本質的に好きではない方は、勉強よりも優先することが多く、大学院に進学する意味がないように思います。逆に、勉強が好きで淡々と進めることができる方は大学院では非常に有意義な時間を過ごすことができます。勉強が嫌いな人にとって大学院で過ごす2年間は過酷なものとなります。

 

纏め

 

高学歴を欲しさに大学院に進学しようとしている方は回れ右して進学より無難に就活を選びましょう。

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