抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

穀潰しは死ねと社会が言う

 

 滋賀にある、今は合併された町で育った。寒さは厳しく、町民はみな寄り添うように生きていた。ここそこの家の事情は全部、地域に筒抜けだった。思い返すと、あの当時の私にとって社会とは、住んでいる場所のことだったかもしれない。

 近所には、障害を持って生まれた男性がいた。私の家の裏がちょうど施設が出す送迎車の集合地点となっていて、毎週バスから降りて走りながら帰っていく彼の姿を目にした。そんなある日、周りで彼のことを「穀潰し」と言う人たちがいた。どういう意味かわからず母に聞いたら、少しの間、米を研ぐのを止めて、またミシンのように背中が動き出した。それ以上は、聞かなかった。

 結局彼は地域では育たず、遠い親戚を頼って大阪に行くことになった。「いい先生」がいるはずだったが、私が大学に行く頃、亡くなったとの知らせが来た。参列者の少ない、人目を避けるような葬式であった。

 私が大学に入学して3年目を迎えた夏、津久井やまゆり園において、重度障害者を対象とした史上最悪の殺人事件が起きた。被害者の数の多さが事件の大きさではないが、19名の尊い命が失われたことは、戦後最大である。だが裏腹に、世間の反応の鈍さを感じた。首相は簡単なコメントを発表しただけで、現地への視察などをしたとは報じられていない。

 口にするのも恐ろしいことだが、もしも「被害者は障害者だから、自分とは関係ない」と思っている人が多かったとしたら。そう思わずにはいられない。さらに言えば、あの当時、地域が彼のことを「穀潰し」と切り捨てたように、「半人前の命」とどこかで思っているのだとしたら、その無関心こそが悪意であり差別ではないか。

 当時あの町では、「働かざる者、食うべからず」だと教えられた。住民はみんな、何かしらの作物をせっせと作っていた。子どもだった私も、祖母の手伝いに畑にいかされた。彼のほかにも、似たような障害者を抱えた子どもがいたが、月日とともに彼らの話題は消えていった。嘘か本当か、「知恵遅れを納め戸に閉じ込めてそのままにした」などと聞いたりもした。地域にとって都合が悪いだけではなく、その家にとっても忘れたい過去であったかのように。

 これらの話は今から10年以上も、まだ人権が何かもよく知らない当時の話だ。そして、辺鄙な町で起きた、言い伝えのような話だ。しかし、高度に発達し、いまや先進国とて誰もが疑わない経済大国になった日本で、全く似たことを繰り返している。

 与党は、先の選挙でも経済政策を焦点にすり替え、改憲までやってのけた。しかし経済効率化の先に、「生産性のない人間の切り捨て」が進む。いくら先進国を名乗っていても、障害者を特定の場所に収容し、タブーとしてきた社会は、国際的な信頼を得られないのではないか。

 事件の犯人は、施設の元職員で、障害者への怨恨があったという。過酷な勤務のなか、鬱憤があったのかもしれない。もしも、ある一部の施設や職員だけが彼らに向き合うのではなく、社会全体として受け入れることができていれば、やまゆり園事件はなかったのではないか、そう思わずにはいられない。

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