抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

傲岸

 

 日本で格差社会の議論が始まって、かなりの時間が経つが一向に改善の気配はない。最近は、いくら働いても生活保護レベルの給与しか得られないワーキングプアの存在も大きくクローズアップされている。しかし、現在、残業代ゼロのホワイトカラーエクゼンプション、派遣労働者の正社員化抑制の派遣期間の延長、労働ビッグバンによる看護・介護職場への外国人の導入による、その厳しい労働環境と低賃金固定化の動きなど、却って悪化の方向に加速しており、非正規雇用者の増加や正規雇用者の低賃金化などの雇用条件悪化の勢いは止まらない。

 それでは正規雇用者でも低賃金で過重労働となり、まともな家庭生活は望めず、非正規雇用者は生存がやっとの賃金となり、いずれにしても生活破壊であろう。政治的配慮の再チャレンジ政策が始まるが予算もなく、ニート、フリーターは軽視され実効性は疑わしい。今や日本は格差社会から貧困社会に突入したのである。

 古色蒼然とした19世紀初頭の産業革命最盛期の野蛮な資本主義が復活するのか。国民困窮化、労働の市場原理化は消費市場を縮小させる。貧困層増大は中産階級減少となり労働力は劣化し、技術集約型製品の生産も難しくなる。要するに、日本の誇る「ものづくり」の弱体化に繋がり産業の空洞化も懸念される事態だ。前小泉政権や安倍政権などのアングロサクソン流の小さな政府の新自由主義路線支持の人たちは「努力する人が報われる社会」の実現を主張するが、それは仕事に疲れ切った貧困層の人たちに、今の社会を受け入れさせるための標語のようなものである。

 郵政選挙があった時、多くの学者、マスメディアが小泉改革を支持し国民多数も同調、新自由主義イデオロギー的勝利を収め、グローバリズム路線が世界の趨勢で、私たちは弱肉強食の時代に入ったと絶望せざるを得なかった。国際的には80年代に、その洗礼で苦境に陥ったラテンアメリカ諸国の多くでは左派政権が続出して路線変更をしており、先進国でも、サッチャー改革を誇ったイギリスでも社会支出の増加などの路線変更をしており、西欧、北欧でも、社会政策強化などの対抗策を講じており、あれから安倍政権の今日に至るまで突き進んでいるのは日本ぐらいではないのか。

 現行の改革路線では、正直なところ国民生活向上には繋がっていない。古来、国民の多くが貧困になり栄えた国などない。今、私たちは、これらの動きの中止や最低賃金引き上げなどの具体的な要求をして、貧困化に歯止めをかけなければならないのではないか。

 

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