抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

発表を恐れると成長はできない

 

思えば、少し前まで大学院生をしていたこともあり、振り返ると、本当に学びに満ちた2年間だったと思います。その一方で、当時を振り返ると、あの時もう少し勉強しておけばよかった、もう少し色んな方と話しておくべきだった、そう思うのです。そんな私でも、これだけは頑張れたと胸を張って言えるとがあります。それは、「とにかく発表の機会を見つけては自分の研究を発表した」ということです。修士2年目には6つの異なるゼミに参加し、研究発表をさせていただきました。今回は私の経験を踏まえ、発表することの大切さを述べていきたいです。

 多くの方が勘違いをされていますが、発表は何も完璧な状態で行うべきものではありません。学生時代には、時間を見つけては周囲の院生たちに声をかけ、「研究の報告会を一緒にしない?」と頻繁に誘っていました。しかし、ほとんどの院生は「プレゼンはしたいが、今はできる状態にない」と答えるのです。では、その「できる状態」はいつ訪れるのでしょうか?。実は、「できる状態」というのは、永遠に訪れないのです。結局、人間は完璧ではないので、完璧を求めようとしても、そのような状態には永遠にならないわけです。とはいえ、完璧に近い状態までプレゼンの質を高めることができます。それは、「何度も発表しては、意見をもらい、それを持ち帰って内省する」ことです。

 人間は誰しも、できれば失敗は避けたいと思う生き物です。私も例外ではありません。当然、失敗をすると人並みに凹んでしまいます。研究発表で指導教官から厳しく論難された時には、家に帰る気力がなくなり学校で寝た夜もあります。エリート留学生に鼻で笑われたことも今でも脳裏に焼き付いています。それでも、毎回の発表の後には、なぜか思想に耽ることができ、自分の研究を見つめ直すことができるのです。俯瞰して自分の研究を見つめ直した時に、「ああ、なんでこんなことに気づかなかったのか」と認識するのです。私は、この「認識」は発表なくして得られるものではないと考えています。そして、この「認識」の回数は、発表の回数に概ね比例するものだと思っています。失敗を恐れて発表を拒絶し、「気づいた時にはもう遅かった」という思いだけは、するべきではないのです。

 繰り返し指摘を受けつつ、それでも日進月歩で前進を実感し、その結果、修士論文を提出の2ヶ月前に書き上げることができました。私の分野では修士の学生が学会で発表することは稀ですが、幸運にも発表の機会を得ることもできました。そして、発表を通して、多くの方達とコミュニケーションを取る機会にも恵まれました。失敗は確かに辛かったですが、それ以上のリターンを得ることができたと胸を張って言えます。

 成長するためには、失敗を経験しなければならないと思います。失敗をしない人間は、自分自身の限界に挑戦していないだけで、賢明な人間ではないのです。そのことに、卒業してから気付くようなことがあってはなりません。学生生活は有限です。一人でも多くの学生が、一つでも多くの失敗を経て、その後の社会で活躍されることを期待して、終わりにします。

 

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