抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

安倍という日本の病

 

 戦争への道はさまざまだが、平和への道は一つしかない。話し合いである。

 日本国憲法はアメリカの押し付けと言われるが、私は憲法第九条、平和主義の起源は、ドイツの哲学者カントが書いた「永遠の平和のために」の中にあると考える。一八世紀ヨーロッパが戦争に明け暮れていた時代に書かれたこの本は、戦争の原因を一つ一つ取り除くことにより平和が得られると説いたものだ。

 その中でカントは平和のためには軍隊、常備軍を廃止せねばならないと、説いている。ところが、少し読み進めると、「外敵からの攻撃に備えて、自発的に武器をとって定期的に訓練を行うことは、常備軍とは全く異なる」とも書かれている。私はこれを読んだ時、全く理解ができず、カントなんて観念論者だと気にも留めなかった。しかし、二〇一五年安保法案の議論の中で、このカントの言葉が突然思い起こされた。つまり、常備軍の廃止とは集団的自衛権の廃止であり、外敵に備えて武器を取る、というのは個別的自衛権を意味すると考えられる。皆さんは自衛隊についてどうお考えであろうか?

 自衛隊に反対の人は自衛隊をなくせと主張し、賛成の人は憲法で個別的自衛権を認めろと主張する。そして、わずかな考えの違いを狙い撃ちにしたのが安倍政権である。堂々と議論の末に改憲をするなら納得ができるが、知らないうちに憲法が書き換えられるかのような安倍改憲を許すことができるか?

 安倍改憲は北朝鮮の核実験とミサイル発射をテコに、強気な言葉により支持が得られるポピュリズム の政治を利用して、国民を分断しようとする。武力ではなく、話し合いと法律により平和を築くことができるのだ。民主主義のもと私たちは主権者という権力者である。私たち一人一人が権力者である限り、巨大権力は生まれず、戦争を起こすことはできない。立憲主義、三権分立これらはいずれも巨大権力を許さない、平和を築くための法律と考えることができる。そしてその先に日本の平和憲法がある。

 逆に法律によって巨大権力を作り、戦争を起こすこともできる。安倍一強のもと特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法案があっという間に成立してしまった。このままでは警察の捜査に協力してくださいが、協力しろとなり、NHKの受信料を払ってくださいが、払えとなり、国に税金を納めてくださいが、納めろとなる。それはもう民主主義国家の終焉を意味する。

 話し合うことが私たちにできる全てのことである。話し合うとは、相手を言い負かすことでもなければ、考えを一つにすることでもない。憲法に対する思いは人それぞれだが、小異を尊重しつつ互いの違いを乗り越え、必ず安倍の時代を終わりにさせたい。もうこの国の頽落は見たくないのである。

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