抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

敗者の想像力

 

 上京してはや半年を迎えようとしている。東京の冬は明るい。生まれ育った滋賀の山奥では、冬はいつも凜々としているが、夜は暗く、寒い。

 ところで、先日、年末年始に先駆けて祖父母の家に訪れた。母親が子どもの頃の話に話題が移り、当時の高度経済成長期の話になった。ただ、それより前から日本で生きてきた祖父母は、明治維新も凄かったらしいと、口を揃えた。明治維新のことについて聞かれた私は、とりあえず、いい面も悪い面もある、と答えておいた。

 明治という時代には多くの選択肢があった。多くの人が日本の行く末を構想し、実際に行動していた。では、どんな選択肢が選ばれていたのか。いや、どんな選択肢が潰え、何が残ったのか。

 明治日本に多くの選択肢があったのと同様、戦後の日本にも多くの選択肢があった。復興が進むにつれて、高度経済成長に突き進むにつれて、一つ一つ選択肢は潰え、可能性は一つ一つ失われた。

 冷戦の崩壊に際しても、日本には多くの選択肢があった。しかし、その可能性も一つまた一つと失われた。そして、阪神淡路大震災や、福島の事故を伴う東日本大震災に直面したときにも、私たちには多くの選択肢があったが、可能性は一つ、また一つと消えていっている。

 そして今、日本憲政史上最長の政権が腐敗を色濃く残して退陣し、それを更に悪化させる病魔として菅が現れた。やっと、この国に疫病をもたらし続けた安倍政権が潰え、わずかな希望に思いを馳せれる喜びを知ったが、それも束の間、菅の現出により目の前で民主主義が破壊されつつあることに怒りと恐怖を覚える。

 今の私たちにも多くの選択肢がある。しかし刻一刻とその可能性は消えていっている。私たちの何もしないという行動も、一つ一つの可能性を潰していっている。

 そういえばいつか、敗者の想像力という言葉を聞いた。潰えた選択肢にかけた人々は何を考えどう行動したのか。その可能性が失われたとき、彼らは何を考えどう行動したのか。なにより、私たちはそこから何を学ぶのか。

 冬晴れの青空の下、いつもと変わらぬ日常を生きている。けれど、どこか真綿で首を締め付けられつつあるようで苦しい。

 

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