抵抗

“小さな抵抗こそが希望になる”というテーマで不定期に記事を書いています。

Hopeless

 

 コロナで顕在化したのはこの国の貧困であった。私自身、現代の貧困問題については体験的に理解しているつもりだったが、私の表面的な理解を超えて社会の「貧困」がここ数年で一気に加担していることが余すところなく明らかにされたように感じた。とくに衝撃を受けたのが高卒の就職難であった。既に随分と前から高卒の正規雇用は急減しており、高卒後即正規雇用というこれまでの雇用環境の崩壊は、それより上の学校に行けない階層にとっては、親も子も不安定雇用化が固定化されることを意味しているということも、明らかにされている。 

 「まじめにコツコツと働けばなんとかなる」「高校ぐらいは出ておかなければ社会から相手にされない」という言葉は空虚になりつつあるということなのか。生活保護を利用している世帯にとって、自立した生活に戻る大きなチャンスは子どもの就職である。ところが、現状はそのチャンスが有効性を失いつつある。つまり保護からの自立がさらに遠のくことを意味している。それでなくとも、不登校や問題行動など子どもたちをめぐる状況は大変だ。そんな子どもたちがいろんな葛藤の末に立ち直ったとしても社会は受け入れようとしなくなりつつあるということだろうか。子どもたちが未来を信じられなくなるような社会はどんな社会なのか。

 生存権とか教育権とか勤労の権利とか、人類が多大な犠牲の上に獲得した20世紀の社会権といわれるものは、「弱肉強食」「人間は飢餓状態の恐怖を前にして競争させたらなんぼでも働く」というすでに克服したと思われる浅薄な人間観の前に存在意義を問われているのだろうか。ごく一部「勝ち組」を除いて、かなりの階層は「負け組」にいつなってしまうかもしれないのが現状である。

 ホームレスが実は「ホープレス」ということも考えられるが、未来を担う子どもたちが「ホープレス」にならないように、それぞれが自分の持ち場で踏ん張るときなのだろうかと痛切に感じた。

 

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より良い社会環境を築きあげたい

 

私も、高校時代、向学心と受験勉強の矛盾、画一的で味気ない一斉教育に不満と怒りを覚えた生徒の1人であったが、この問題に回答を与えてくれる教師には出会わなかった、そして学校を辞めて編入した。また後になって、日本の社会における職場と教育機関の断絶にも深い疑問を抱いたが、それは日本では自明のことであって、職場には知性が、学校や大学には社会性が欠けていても、「それが世の中」なのであった。

 日本人は一般に、問題の解決のために戦うよりも、問題を隠蔽したり、不合理を受け入れることに、欧米人の想像を絶する忍耐力を示す特性があり、このメンタリティーが、日本における民主主義的で創造的な教育の発達を妨げてきたと思う。

 私は教育大国ドイツで学ぶ学友たちから現地での話を聞くたびに、日本人たちが戦後、家庭を犠牲にしてまで築いた経済力が、日本の教育の充実に寄与しなかった現実を苦痛と共に噛み締めている。日本とドイツ、二つの「敗戦国」のこの差が何から生じたのか、日本人一人ひとりがいま本気で考えてみなければならないと思う。ドイツの教育の現状を少しお伝えしたい。

 ドイツで教育の対象となるのは、子どもだけでも、ドイツ人だけでもない。周知の如く、国公立の学校、大学の授業料は外国人留学生も含めて基本的にはかからない。各地方自治体やキリスト教会が、成人にも充実した市民大学のプログラムをわずかな授業料で提供しているし、学校や幼稚園は、各方面の専門家を招いて、父母たちに講演会や教育相談の機会を積極的に提供している。

 また、ドイツの学校の教育養成には国の負担で相当の時間と費用がかけられる。その結果、各教師が現場で取れるイニシアチブも日本に比してはるかに大きい。日本では、学校に子どもの教育の責任が全面的に課される傾向があるが、ドイツでは、家庭教育はもとより、学校・教会・地元スポーツクラブ等が、知的教育、社会・道徳教育、音楽を楽しむ機会やスポーツ等を分担している。

 教会やスポーツクラブでの指導には、意欲と能力のある父母たちが、仕事の後の時間や休日を利用して協力するが、父母たちにとっても、様々な子どもたちと接することはとても良い経験となる。

 だから話は少し飛躍するかもしれないが、より良い社会環境の設備のためにも、日本企業に深く根を下ろしている「残業の美徳」が消えることは望ましいと思う。

 

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あまりにアンフェアではないか

 

 夏が近づくにつれ夜が長くなってゆく。

 薄暗い車内灯を乗せて滑り込んでくる列車に包み込まれるように、疲弊して自宅に向かう若者たちの姿に正気がない。肩書きだけの年寄りに比べれば、彼らにより大きな責任と報酬を与えるべきではないか。

 日本の遅れた部分はひとえに、退場すべき人がいつまでも退場しないことにあり、「痛みの伴う清算」の先延ばしにある。停滞腐敗の原因が若者たちになければ、痛みは彼らにあるべきではない。

 毎日12時間近く働く、運送会社の車を運転して、25歳の青年の手にする給料は年間300万円余。会社が医療保険もつけてくれない若者の国民健康保険料は、年間40万円を超える。譲渡所得がその若者の10倍をはるかに超え、毎年数千万円の収益を上げる大地主の保険料が年間60万円。若者は今まで忙しすぎて医者にかかったこともなく、かたや池主世帯は多人数世帯で病人が数人いる。この保険料の決め方はあまりにアンフェアではないか。

 法律を熟知している利口な人、弁護士や税理士を雇えるゆとりのある人は、最低限の社会保険料で最大限の保障を受ける。社会経験の浅い若者は日々の仕事に精一杯で、自分の支払った社会保険料の税控除さえ申告したことがなかった。

 私は少しお節介な部分があるので、彼の支払った数年間の社会保険料をメモして渡し、それぞれの年の源泉徴収票を会社からもらって税金の更生申告をするようにアドバイスした。「改革には痛みを伴う」と首相は言うが、市民から直接窮乏を聞く私は無力な自分が歯痒い。すべての災いがパンドラの箱から飛び去った後、「希望」だけが残ったというが、これでは若者や働きもりの国民に、明日への希望など湧くわけがない。

 大手電気産業では一度に数千人〜と言う大規模のリストラが始まった。「コロナの影響ならまだしも、経営者の景気判断の誤りや、自らの依って立つ古い経営体質が原因で経営不振を招いているというのに、なぜ現場労働者や中間管理職だけがリストラなのか」と、リストラ退社を申告された友人が鬱憤をあらわにする。

 思えば私の上司が、「世界的な景気の悪化により、今後はできるプロジェクトも限られる」と発言していたが、既にあるプロジェクトが現場に即したものと言えると思っているのだろうか。そもそも、巨額の資金があり、金の量でものをいわす政策が功を奏して機関の名声が上がったとしても、それは業界努力とは言えまい。業績というのは、組織のトップや従業員がどれほど悪条件で努力したかを問うているわけで、安物の政治家のように「不況で状況が悪い」など更々説明の必要はない。誰でもできる運営をしていたのだからそれなりの結果になった、というのも当然説明不要で、トップなどいなくても同じである。

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「いらっしゃいませこんばんは」が気持ち悪い

 

 数年前からコンビニ店員の挨拶が長くなった。とても耳障りだ。基本的に「いらっしゃいませ」も「こんばんは」も、言われて気持ちの良い言葉のはずだ。それが合体したのだから二倍気持ちが良くても良い理屈だが、これがどうしたものか気持ちが悪い。それぞれの語が持っていた人間味のようなものがどこかへいってしまった。

 これまで、いわゆる「ら抜き言葉」や、「一万円”から”お預かりします」「お釣りの”ほう”が三〇〇円」等、文法的・用法的に問題のあるとされる表現をあげつらう声は少なからずあったが、私はそれ以上に、文法上は誤りはなくても、「人間の言葉であることをやめた日本語」が幅を利かせている現状を苦々しく思う。「いらっしゃいませこんばんは」や「ありがとうございましたまたお越し下さいませ」は人間の言葉ではないと思う。マニュアルに忠実なロボットの言葉だと思う。自分で考えることをやめた者の言葉だと思う。残念ながらこれはコンビニ店員に限ったことではない。メディアの世界でも思考停止が蔓延している。例を列挙してみる。

 「ニュースを続けます」ニュース番組でニュースが続くのは当たり前だ。「今日のまとめのニュースです」今日という1日をそう簡単に「まとめ」られるものではない。「応援よろしくお願いします」スポーツ選手が乱発している。ただ、この背景には「ファンのみなさんに一言」という、インタビュアーの空虚な要請があることを忘れるわけにはいかない。

 「森保ジャパン」や「原巨人」も奇妙な表現だと思う。日本のスポーツ界では、選手ではなく指導者が主役だという実態と、それを批判どころか礼賛しているマスコミのおめでたさが表れている。他の国々のスポーツではこうした表現が見られないことに鑑みると、彼らは日本スポーツ界が世界標準とは別物であると認識しているようだ。なおかつそれをよしとしているということか。

 「××にできること」、、、企業や商品のキャッチコピーに多いが、何が言いたいのか全くわからない。使っている人たちも多分わかっていない。思考停止しているから、それを気にしていない。思考停止の真打ちは「小泉構文だ」。この人の愛用した日本語は、もはや冗談以外に使えないほど、その価値が低下した。国民の大半が、考えることをやめて彼を野放しにしたが、これ以上の看過はできない。

 「言葉は思考と不可分なもの」とは、この国では言い切れなくなってきた。言語は、それを使う人々の性質を反映しないものだろうか。

 

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政治家というもの

 

 子ども時代に文化大革命期をくぐり抜けたある中国人研究者から、「日本の政治を見ていると、まるで子どもの遊びのようだ」と言われたことがある。教室での発言一つで友人たちに糾弾され、指示する人を間違えたら排除され、命まで奪われかねないという厳しい時代、いかに本音を出さずに相手の本音を見抜くか、誰が信じられ誰が信じられないか、必死に観察し、孤独に考え、文革時代を生き延びたその研究者は、この度の黒川検事長の辞任をどう見ていただろう。

 片言隻句を突付いて騒ぎ立てるメディアも見るに堪えないが、それに動揺してたちまち職を投げ出してしまう政治家の軽さ、覚悟のなさに驚いてしまう。もちろん文革時代の中国のあり方がいいわけではない。しかし、例え血は流さずとも、洋の東西を問わず、政敵を説得し、脅しすかして壊柔し、あるいは見方を力づけ、ときに騙したりもして、力を込めてじりじり厚板を刳りぬくような作業を続けることこそが政治であろう。

 ある政治を実行すれば、権力の内部、周辺で権謀術算が渦巻く。それは、「悪人」が多いからではなく、それぞれに利害が絡んでいるからだ。既得権益が大きければ大きいほど、抵抗は大きい。「原子力村」という大権益集団を向こうに回し、脱原発政策を進めようというのなら、それ相応の覚悟と戦略が要る。世論調査の結果だけで政策が履行できるわけではない。そうした覚悟と戦略を持っている人を、ひとは政治家と呼ぶのではないだろうか。

 「東京大改革」を掲げて発足した小池都政は、反自民の改革者として振る舞い、全員野球の体制となった。しかし、政策的核もなく、政策的幅の広さ、といえば聞こえはいいが、そのバラバラさがそのまま政策に反映されただけではないか。全員野球であるがゆえの弱さといえようか。どの政権にも、目に見える成果を出したがるものだ。しかしどんな強い政権でも、多くを成し遂げることはできない。小池都政のように基盤の弱い政権は、優先順位を明確にすることが重要ではなかったのか。とはいえ、今となってはもう遅いような気もする。それなのに、また再度出馬をするというのだから、呆れてものが言えない。

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次の世代に何を残すのか

 

 戦後、時代の節目や何かのきっかけで「戦争責任」が議論されることがあったが、ここ数年その言葉すら聞かれなくなってきた感がある。昔、とある番組のドキュメンタリーで、主人公の男性が青臭い正義心で両親に「なぜ大人であったあなた達が市民として戦争を止められなかったのか」と迫り、時代背景などから個人で反戦を表明することは不可能に近かったことを弁明する彼の両親を攻め立てた場面を覚えている。

 しかし、満州事変や太平洋戦争といわれる第二次世界大戦、2000万人の外国人、200万人の日本国民を死に追いやり、沖縄の悲劇、広島長崎の原爆まで戦争を拡大し辞めようとしなかった者たち、機関の責任が消えるものではない。20世紀は「戦争の世紀」と言われるが、2011年以来21世紀の日本は「放射能の世紀」を生きることとなった。福島原発事故による放射能の被害、恐怖は、これから数十年、楽観的に見ても今世紀後半にならなければおさまらず、放射能の危険性は未来永劫続き、拡大拡散することもありうる。

 では日本国内だけではなく世界にも影響を与える原発事故の責任は誰に何処にあるのか。今はまだ、東日本全域にばらまかれた放射能、収束のめどさえ実際には立っていない破壊された原子炉、放射能廃棄物の処理など国を挙げて集中すべきだが、そのことと「原発責任、福島原発事故に至った責任」は切り離して考え、検証しなければならない。「原発責任」は電力会社にあるのか、政府や政治家か、核開発、原発建設を進めた科学技術者や原発建設に関わった企業か、それとも文明の利器を享受し原発を容認してきた国民か。それぞれ責任の重さは違うだろうが、誰か何処かに「原発責任」はあるはずだ。

 今はまだ幼き子どもたち、これから生まれる子どもたちが意思を持ち社会を考える世代になった時、「あなた達が大人であった時代に何故、原発を作り原発事故を起こしてしまったのか、あなたは原発を廃止し事故を防ぐ努力をしたのか」と問われた時に、私たちが答えを持っているだろうか、「そういう時代だった」と言い逃れるのだろうか。

 戦後半世紀以上経っても、「戦争責任」を曖昧にしているこの国は「原発責任」も曖昧にしたまま、これからの世代に放射能の脅威を押し付ける形で令和に入った。「原発責任」を曖昧にしたままでは、放射能の脅威を逃れることも、福島、被災地の真の復興もこの国の新たな地平も切り開けないのではないか。「戦争責任」は一億総懺悔とごまかされることもあるが、これは日本人すべての問題ではあるが、「原発責任」が1億2000万総懺悔で済まされてはならない。

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維摩一黙

 

 出る杭は打たれ、空気は読まされる。

 

 伝統的体質とも言える日本の苦々しい雰囲気に触れたのは、マクドナルドの店員が「時給一五〇〇円」を求めてデモを行った前後のことである。大規模にフランチャイズ化したファストフード店は、学生にとって、ごくありふれたアルバイト先のひとつだ。時給は決して高くはないが、親元暮らしだったり、あるいは仕送りが定期的に届く環境では、そう贅沢さえしなければ生きていける。ただ、有識者らの「ファストフード店の労働にそこまでの価値はない」「もし店員も時給をあげたいなら、商品の値段に跳ね上がってくる」といった辛辣な反応には、めまいがした。また、私が学生だった時に受講したある講義で、教授が得意げに「憲法二五条は国の責務を問うものであって、企業による補償は想定していない」とデモを冷笑したことにも、割り切れない何かを感じた。

 あたかも静観している人々が大人で、デモをしている人が駄々っ子のような、嫌な空気感がそこにはあった。そしていずれの発言にも、デモそのものを否定できる根拠はないように感じた。単に「そういう面倒なことはしないの」と言っているに過ぎない。

 私たちは、労使関係をよく聞き間違える。特に生まれた時から「好況」に触れてこなかった世代は、「雇っていただいている身分で、文句は言えない」と口をつぐみ、悲惨な現実から目を逸らす。交渉して、戦い、健全な労使関係にしようとは考えない。「嫌なら辞める」とドライに世の中全体を諦めているような節が、どこかにある。ゆとり世代ならぬ悟り世代、などと言われるのも、おそらく無関係ではないだろう。

 しかしもっと根深い問題として、社会の目があると思う。それは、数倍の量の義務を果たさなければ恐ろしくて権力など主張できないような、厳しいものである。そして解せないのは、同じ労働者の中にも、「あいつは権利ばかり言っていて格好悪い」などと足を引っ張る人間がいることだ。「我慢が美徳」を歪曲して解釈した価値観が見受けられる。ファスト店の従業員は多い。にも関わらず問題が顕在化してこなかったのは、働く人にとってもファストフード店が一時的な止まり木に過ぎなかったことを示している。

 いま、コロナも助長して首相が自慢するほどには景気も良くならず、「いつかは」と思いながらこの止まり木に居続ける人たちが、弱々しくも声をあげている。しかし、依然として社会は冷淡である。渦中にいる人は日常に追われて愚痴をこぼしながらこき使われ、渦中にいない人は小難しい理論を用いて人々を納得させようとする。日本国憲法発足から七〇年が過ぎたというのに、本来高潔であるはずの条文が、弱者を隘路に込ませるまやかしのために引用されたことが、なんとも歯痒かしい。

 

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国によって殺された人々を想う

 

 複雑な世界を読み解く時、国家(権力・統治機構)と国(民族・国土・文化)を分けて考えると、ある種の視界が開けてくる。国家益と国益はしばしば衝突する。国家によって国が蹂躙、収奪、抑圧された歴史を日本人は先の対戦で経験した。沖縄への米軍基地の押し付け、福島原発事故をもたらした原子力政策と戦後も歴史は繰り返している。しかし、安倍首相の言動にのぞく国家観に、歴史から教訓を学ぼうとする問題意識は皆無に等しい。

 「歴史や伝統の上に立った、私たちの誇りを守るのも私の仕事。それをどんどん削っていけば(他国との)関係がうまくいくという考え方は間違っている」。靖国参拝に中国や韓国から批判が出ていることに、首相は強く論難した。「私たちの誇り」「美しい日本」「国柄」。権力者が使うこの種の言葉は、国家と国が別物であることを糊塗する。

 日米同盟を基軸とする戦後日本の政治選択は、憲法が掲げる理想に逆行してきた。米国は「テロとの戦い」と称する戦争で、幾多の無辜の人命を確信犯的に奪いながら謝罪も補償もしない。日本人は米国の非道には完全に不感症にさせられている。核拡散防止条約の「核兵器の人道的影響に関する共同声明」に日本政府は賛同しなかった。米国への配慮から被爆国としての道義を軽んじて久しい。米国批判をタブーとする同盟関係は、国際社会における道義を捨てることで成り立っている。そのような国家が国民に対していかなる「誇り」を持てというのか。

 靖国神社には「国のため」と信じ込まされて、実は国家のための戦争に動員され、国家に死を強要された戦死者を「国のために命を捧げた」と美化するすり替えの論理が埋め込まれている。靖国の論理を突き詰めると、「国家と国は一体」「国家あっての国」である。国家にとって、死を強要した側と強要された側が一緒に祀られることの意義はここに生まれてくる。

 米国追従を深化させている首相が語る「私たちの誇り」と、道義を捨てた日本の今の姿を「英霊」たちはどんな思いで受け止めるだろうか。私が「英霊」の一人であれば、「自分は何のためにアメリカと戦い、死んだのか」と自問する。愛国者を気取り、靖国参拝のパフォーマンスを演じる政治家の群れが、国家と国の一体感を演出するために「英霊」を利用する欺瞞に怒りを覚えるだろう。

 安倍政権が成した「改憲」は「国家あっての国」を先鋭化させた国家観に基づいている。そのような政治に操縦されている国家がどれほどの災禍を国にもたらしてきたか、古今東西の歴史から読み取ることは難しくない。私はそのような歴史観を持って安倍政権への「抵抗」を乱打したい。

 

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2万個の穴を埋める

 

 現代日本社会における自殺は、特別な人たちに特別な形で起きているのではない。日本の自殺の特徴は、それが社会構造的な問題になっているということだ。もし自殺が個人的な資質や性格が原因で起きているのであれば、ある年は4万人亡くなって翌年には1万人というように、そこまで極端ではないにしても、年間の自殺者数に増減があってしかるべきである。しかし実際は、年間2万人がコンスタントに亡くなり続けている。つまり、1年間にそれだけの人が自殺をせざる得ない「悪い意味での条件」が私たちの社会に整っているということだ。2万人が自殺で亡くならなければ1年を終えることができない社会になってしまっているのである。

 たとえるならば、日本社会に2万個の見えざる落とし穴があって、穴に落ちた人、落とされた人から自殺で亡くなっているということだ。そしてその穴には、落ちそうな人が落ちるのではない。自ら積極的に落ちているわけでもない。じわじわと穴に追い込まれ、気付いたら抜け出せなくなっている。そうした状況の中で「自殺」が起きている。

 したがって対策も、対症療法的に、穴に落ちた人を穴から引き上げる支援策だけではなく、社会のどこに穴があるのかを検証し、穴に落ちないようにセーフティーネットを張っていくことが必要だ。加えて、穴に落ちた時の対処法も学校で教える。すでにある穴は緊急避難的に埋めて、穴ができた原因を明らかにし、二度と穴ができないようにする。そうやって、2万個の落とし穴に対して社会構造的な対策を講じていく。社会の仕組みとして、なぜ多くの人が不本意な死を強いられているのか、問題の根源にまでも迫っていく。死から学び、学んだことを社会づくりに還元するのである。

 ただ、私が「社会構造的な問題」と言うのにはもう一つの理由がある。それは、日本社会には合理的な問題解決機能が備わっていないということだ。社会的に解決すべき問題が起きたときに、それを察知して修復させる仕組みがない。「起きてはならないこと」はリスクとして想定すらせず、「対処が困難だ問題」は存在しないものとしてしまう。結果、問題は放置されたまま、場当たり的な対応ばかりがつぎはぎされていく。自殺のような複雑な難題に立ち向かうことはできない。そうした社会的なリスクマネージメント能力の欠如が、自殺者2万人という深刻な事態を継続させた原因である。

 ところで、人が死を選ぶとき、選ばざるを得ないときはどういう時か。それは、「生きることの促進要因」よりも「生きることの阻害要因」が上回った時である。生きることの促進要因とは、生きる支えになるようなもの。例えば、将来の夢や、あるいは経済的な安定などである。一方、生きることの阻害要因とは、生きるうえでハードルとなるようなもの。例えば、将来への不安や絶望、家族からの虐待、周囲からのいじめ、過重労働や貧困、あるいは介護疲れや孤独などだ。同じ阻害要因を抱えたとしても、促進要因の強度によって、ある人はそれを容易に乗り越えるし、ある人はそれがきっかけで自殺にまで追い込まれていく。促進要因と阻害要因とのバランスが問題なのである。

 今の日本は、生きることの阻害要因を抱えやすく、逆に、生きることの促進要因を得づらい、非常に生きにくい社会、ある意味で「生きることが割りに合わない」と感じられるような社会になってしまっている。

 生きやすい社会を作るために、我々には何ができるのであろうか。生きにくい社会を根絶させるために、何をすべきであろうか。今の社会にそれを求めるのはそもそもご法度なのであろうか。

 

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排除型の社会に終止符を

 

 五年も前になるか、東京の朝鮮学校高級部の公開授業を見学したことがある。覗いた教室では、社会科の授業で、近代ヨーロッパの啓蒙思想を教えていた。雰囲気は”一時代前の学校”のようだった。教師たちは厳格そうで、生徒に茶髪は一人もいない。若い女性の教師が多く、まるで姉がその弟や妹たちに教えているようであった。聞けば、財政的な厳しさによって規定の給与が低いうえ、その給与も遅配が多く、最低生活費が確保できない。独身のうちはそれで何とかやっていけても、結婚すると退職せざるを得ないのだという。過重な授業、担任・クラブ活動などの兼任で負担も大きい。

 朝鮮学校は、日本の敗戦直後、それまで抑制されてきた言葉(朝鮮語)、民族性、民族文化を取り戻すため、日本に居住していた朝鮮人たちが、全国各地で自主的に建設した国語講習所や民族学校が前身である。日本政府は当初これを認めず、占領下では厳しい弾圧を加えて閉鎖させたりした。その後も長く続く学校法人として認可しないなど、様々な制約を課し、嫌がらせを続けてきた。公的補助が自治体から始まったのは、一九七〇年代になってからである。厳しい環境の中で、朝鮮学校がこれまで継続してきたのは、子どもたちに祖国の言葉を伝え、民族性を失わせまいとした親たち、教師たちの情熱と献身的な努力である。

 ある意味で、朝鮮学校の存続は、同化、排除、差別政策によって民族性を喪失させようとし続けてきた日本政府、日本社会に対する、民族性を守る闘いそのものであった。しかし、時代の変遷は朝鮮学校の教育内容にも大きな変化を及ぼす。帰国を前提にした民族教育から、日本永住を前提とする民族教育への変化である。元朝鮮大学教員の金徳氏はそれを「落地生根」と呼ぶ。

 いかなる社会にあっても、少数派の人権、尊厳は守らなければならない。教育においては、父母との文化的同一性、言語及び価値観などの尊重、自己の文化の享受、宗教の信仰、言語を使用する権利などが国際的に認められている。それ以上に、在日韓国、朝鮮人は、日本の植民地主義の結果、日本に居住せざるを得なくなった人々の子孫である。日本に特別の責任があり、その少数派としての教育には、むしろ特別の配慮があって然るべきなのである。

 高校授業料無償化の「朝鮮高校除外」は、普遍的人権の問題であり、子どもの学習権の問題であると同時に、歴史認識の問題でもある。朝鮮高校排除は、日本政府が少数民族を公然と差別すると国際社会に向けて宣言したに等しい。あまりに恥ずかしいことではないか。

 朝鮮学校に通う子どもたちは日本で生まれ、育ち、たぶん将来も日本で生きていく。拉致事件が起きたとき、生まれてもいない子たちに、日本政府は一体何を負わせようというのか。「新しい公共」などと口で言いながら、人権感覚も、歴史への見識も、多元社会へ向かう寛容さも感じられない。日本政府には深い失望を感じる。

 

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強権

 

 橋下前大阪府知事の政治に関する考え方に危険なものを感じるため、以下三点指摘しておきたい。

 第一にその発想が善悪二元論であるということである。自分の考え方は「善」でそれに反対するのは「悪」という決めつけである。「選挙に勝って白紙委員をもらった」という名刺を引っ提げる彼は、自分の政策や意見に対して賛成か反対かという二者一択を迫るわけである。もちろん反対者は悪で、「嫌なら辞めろ」ということである。それ以上に彼が気に入らないのは、自由にものを考える第三者の存在である。彼が時々何の利害もない学者とか、評論家に牙をむくのはその証左である。橋下前大阪府知事にとって実は明確な反対者よりも、自由に物事を考えて発信する人間が煩わしいのであろう。ブログとかツイッターで口汚く批判しているのをみるとそう感じる。戦前もいわゆる左翼的な思想の持ち主以上に自由主義的な思想化が当局に目をつけられていたと聞いたことがある。単純な反対者は処罰することができるが、自由な発想の持ち主はそうもいかないということである。

 第二は、彼がよく主張する「政治にスピード感を」という言葉である。彼が矢継ぎばやに出した政策は確かにスピード感があり、メッセージ性もあった。それに比べて、国政レベルではスピードもメッセージ性も何もない。多くの国民もそう思っている。しかし政治にとってスピードとかメッセージがそれほど重要なことであるのかも疑問である。議論を尽くしてやっと決まる。あるいは結局決まらない。だが、時間がかかったり、決まらなかったりするのは問題がそれだけ難しかったりあるいは、意見が多様であったりということであろう。強権を持ってすれば早く決定するかもしれない。しかし問題の真の解決とはほど遠いことも多いのではないか。教育とか人権の問題は特にそうである。

 第三は、「全てを知り尽くした教師である権力者が、無知な市民を教育してやる」という考えがありありとでている。「啓蒙してやる」ということである。地方自治体の首長は統治するのではなく、住民の要望をいかにかなえていくかということに尽きる。心が行政になく国政に傾いているから言動が首長のそれを逸脱している。当時、大阪市の職員に向かっていた矛は既に市民に向かっている。

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日本政府の視野狭窄によって無視されてきた地域の歴史

 

 本土に居ると、「きれいなサンゴ礁」「美ら海水族館」という彼らにとって都合のいい煌びやかな沖縄県だけが切り取られ、負の歴史を受け付けない無言の圧力に息が苦しくなる。

 お酒の席のことであった。ある教員が居酒屋に備え付けてあったテレビが流すニュースを見て呟いた。「沖縄って駄々っ子みたいだよね」。参加していた学生は、それに同調するわけでもなく、反発するわけでもなく、「難しい話はよくわかりません」というリアクションだった。気づくと、「それはどういう意味ですか?」と聞いていた。教員は、「厄介な議論に巻き込まれた」という顔をした。「空気を読まない」私は教員の発言が許せず対峙した。彼女の言い分は次の通りであった。

 沖縄県は中央政府の方針にいつも反発している。沖縄県では基地の前に座り込んで「ゆすり」に等しい行為で生計を立てている人もいるし、貧困率や離婚率も高い。まるで「危ない国」と同じで、到底人々の支持を得られるものではない。最後に彼女は「きちんと都会で働こうと頑張っている人もいるから一概には言えないが」、とフォローを入れて帰宅した。私は議論の途中から理性を保つことで精一杯だったが、彼女の発言を矯正せねば歴史を愚弄した教員の顔がぼやけてしまうと感じた。帰りがけに、留学生に声をかけられ喫茶店に移動し、「ああいう人と真正面から議論しないほうがいい」と丁寧なアドバイスを受けた。

 翌日、その教員と鉢合わせをした。「昨日の発言は重く受け止めないでください。私も沖縄のことは実のところよくわかっていないんです」と口を開いて過ぎ去った。

 日本全体を覆う無関心の空気、自分が当事者にならなければ、どんな非道で不誠実なことが行われていても気にせず「楽しく」生きていける鈍化した感性の正体が、少しだけわかった気がした。

 東京は名実とともに日本の中心である。大消費地と呼ばれ経済を動かす大きな力を持つ彼らが少数派に対して何らの関心も持たないのは危機的だと思う。アメリカでトランプ政権が誕生し、「それより前からアメリカ・ファーストだった」というギャグが一時期もてはやされたが、アメリカに追従してばかりの日本政府の視野狭窄によって無視されてきた歴史は、暗く悲しい。

 

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穀潰しは死ねと社会が言う

 

 滋賀にある、今は合併された町で育った。寒さは厳しく、町民はみな寄り添うように生きていた。ここそこの家の事情は全部、地域に筒抜けだった。思い返すと、あの当時の私にとって社会とは、住んでいる場所のことだったかもしれない。

 近所には、障害を持って生まれた男性がいた。私の家の裏がちょうど施設が出す送迎車の集合地点となっていて、毎週バスから降りて走りながら帰っていく彼の姿を目にした。そんなある日、周りで彼のことを「穀潰し」と言う人たちがいた。どういう意味かわからず母に聞いたら、少しの間、米を研ぐのを止めて、またミシンのように背中が動き出した。それ以上は、聞かなかった。

 結局彼は地域では育たず、遠い親戚を頼って大阪に行くことになった。「いい先生」がいるはずだったが、私が大学に行く頃、亡くなったとの知らせが来た。参列者の少ない、人目を避けるような葬式であった。

 私が大学に入学して3年目を迎えた夏、津久井やまゆり園において、重度障害者を対象とした史上最悪の殺人事件が起きた。被害者の数の多さが事件の大きさではないが、19名の尊い命が失われたことは、戦後最大である。だが裏腹に、世間の反応の鈍さを感じた。首相は簡単なコメントを発表しただけで、現地への視察などをしたとは報じられていない。

 口にするのも恐ろしいことだが、もしも「被害者は障害者だから、自分とは関係ない」と思っている人が多かったとしたら。そう思わずにはいられない。さらに言えば、あの当時、地域が彼のことを「穀潰し」と切り捨てたように、「半人前の命」とどこかで思っているのだとしたら、その無関心こそが悪意であり差別ではないか。

 当時あの町では、「働かざる者、食うべからず」だと教えられた。住民はみんな、何かしらの作物をせっせと作っていた。子どもだった私も、祖母の手伝いに畑にいかされた。彼のほかにも、似たような障害者を抱えた子どもがいたが、月日とともに彼らの話題は消えていった。嘘か本当か、「知恵遅れを納め戸に閉じ込めてそのままにした」などと聞いたりもした。地域にとって都合が悪いだけではなく、その家にとっても忘れたい過去であったかのように。

 これらの話は今から10年以上も、まだ人権が何かもよく知らない当時の話だ。そして、辺鄙な町で起きた、言い伝えのような話だ。しかし、高度に発達し、いまや先進国とて誰もが疑わない経済大国になった日本で、全く似たことを繰り返している。

 与党は、先の選挙でも経済政策を焦点にすり替え、改憲までやってのけた。しかし経済効率化の先に、「生産性のない人間の切り捨て」が進む。いくら先進国を名乗っていても、障害者を特定の場所に収容し、タブーとしてきた社会は、国際的な信頼を得られないのではないか。

 事件の犯人は、施設の元職員で、障害者への怨恨があったという。過酷な勤務のなか、鬱憤があったのかもしれない。もしも、ある一部の施設や職員だけが彼らに向き合うのではなく、社会全体として受け入れることができていれば、やまゆり園事件はなかったのではないか、そう思わずにはいられない。

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安倍という日本の病

 

 戦争への道はさまざまだが、平和への道は一つしかない。話し合いである。

 日本国憲法はアメリカの押し付けと言われるが、私は憲法第九条、平和主義の起源は、ドイツの哲学者カントが書いた「永遠の平和のために」の中にあると考える。一八世紀ヨーロッパが戦争に明け暮れていた時代に書かれたこの本は、戦争の原因を一つ一つ取り除くことにより平和が得られると説いたものだ。

 その中でカントは平和のためには軍隊、常備軍を廃止せねばならないと、説いている。ところが、少し読み進めると、「外敵からの攻撃に備えて、自発的に武器をとって定期的に訓練を行うことは、常備軍とは全く異なる」とも書かれている。私はこれを読んだ時、全く理解ができず、カントなんて観念論者だと気にも留めなかった。しかし、二〇一五年安保法案の議論の中で、このカントの言葉が突然思い起こされた。つまり、常備軍の廃止とは集団的自衛権の廃止であり、外敵に備えて武器を取る、というのは個別的自衛権を意味すると考えられる。皆さんは自衛隊についてどうお考えであろうか?

 自衛隊に反対の人は自衛隊をなくせと主張し、賛成の人は憲法で個別的自衛権を認めろと主張する。そして、わずかな考えの違いを狙い撃ちにしたのが安倍政権である。堂々と議論の末に改憲をするなら納得ができるが、知らないうちに憲法が書き換えられるかのような安倍改憲を許すことができるか?

 安倍改憲は北朝鮮の核実験とミサイル発射をテコに、強気な言葉により支持が得られるポピュリズム の政治を利用して、国民を分断しようとする。武力ではなく、話し合いと法律により平和を築くことができるのだ。民主主義のもと私たちは主権者という権力者である。私たち一人一人が権力者である限り、巨大権力は生まれず、戦争を起こすことはできない。立憲主義、三権分立これらはいずれも巨大権力を許さない、平和を築くための法律と考えることができる。そしてその先に日本の平和憲法がある。

 逆に法律によって巨大権力を作り、戦争を起こすこともできる。安倍一強のもと特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法案があっという間に成立してしまった。このままでは警察の捜査に協力してくださいが、協力しろとなり、NHKの受信料を払ってくださいが、払えとなり、国に税金を納めてくださいが、納めろとなる。それはもう民主主義国家の終焉を意味する。

 話し合うことが私たちにできる全てのことである。話し合うとは、相手を言い負かすことでもなければ、考えを一つにすることでもない。憲法に対する思いは人それぞれだが、小異を尊重しつつ互いの違いを乗り越え、必ず安倍の時代を終わりにさせたい。もうこの国の頽落は見たくないのである。

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発表を恐れると成長はできない

 

思えば、少し前まで大学院生をしていたこともあり、振り返ると、本当に学びに満ちた2年間だったと思います。その一方で、当時を振り返ると、あの時もう少し勉強しておけばよかった、もう少し色んな方と話しておくべきだった、そう思うのです。そんな私でも、これだけは頑張れたと胸を張って言えるとがあります。それは、「とにかく発表の機会を見つけては自分の研究を発表した」ということです。修士2年目には6つの異なるゼミに参加し、研究発表をさせていただきました。今回は私の経験を踏まえ、発表することの大切さを述べていきたいです。

 多くの方が勘違いをされていますが、発表は何も完璧な状態で行うべきものではありません。学生時代には、時間を見つけては周囲の院生たちに声をかけ、「研究の報告会を一緒にしない?」と頻繁に誘っていました。しかし、ほとんどの院生は「プレゼンはしたいが、今はできる状態にない」と答えるのです。では、その「できる状態」はいつ訪れるのでしょうか?。実は、「できる状態」というのは、永遠に訪れないのです。結局、人間は完璧ではないので、完璧を求めようとしても、そのような状態には永遠にならないわけです。とはいえ、完璧に近い状態までプレゼンの質を高めることができます。それは、「何度も発表しては、意見をもらい、それを持ち帰って内省する」ことです。

 人間は誰しも、できれば失敗は避けたいと思う生き物です。私も例外ではありません。当然、失敗をすると人並みに凹んでしまいます。研究発表で指導教官から厳しく論難された時には、家に帰る気力がなくなり学校で寝た夜もあります。エリート留学生に鼻で笑われたことも今でも脳裏に焼き付いています。それでも、毎回の発表の後には、なぜか思想に耽ることができ、自分の研究を見つめ直すことができるのです。俯瞰して自分の研究を見つめ直した時に、「ああ、なんでこんなことに気づかなかったのか」と認識するのです。私は、この「認識」は発表なくして得られるものではないと考えています。そして、この「認識」の回数は、発表の回数に概ね比例するものだと思っています。失敗を恐れて発表を拒絶し、「気づいた時にはもう遅かった」という思いだけは、するべきではないのです。

 繰り返し指摘を受けつつ、それでも日進月歩で前進を実感し、その結果、修士論文を提出の2ヶ月前に書き上げることができました。私の分野では修士の学生が学会で発表することは稀ですが、幸運にも発表の機会を得ることもできました。そして、発表を通して、多くの方達とコミュニケーションを取る機会にも恵まれました。失敗は確かに辛かったですが、それ以上のリターンを得ることができたと胸を張って言えます。

 成長するためには、失敗を経験しなければならないと思います。失敗をしない人間は、自分自身の限界に挑戦していないだけで、賢明な人間ではないのです。そのことに、卒業してから気付くようなことがあってはなりません。学生生活は有限です。一人でも多くの学生が、一つでも多くの失敗を経て、その後の社会で活躍されることを期待して、終わりにします。

 

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